1989年フランスグランプリ
1989年フランスグランプリは、1989年F1世界選手権の第7戦として、1989年7月9日にポール・リカール・サーキットで開催された。 概要レース前レース前に行われた会見で、アラン・プロストは1989年限りで6年間にわたり所属したマクラーレンチームを去ることを発表した。 ベネトンチームはこのレースで新設計エンジンのHBを搭載した新車B189をデビューさせ、アレッサンドロ・ナニーニが使用した。 ティレルはキャメルのスポンサーを獲得し、マールボロの個人スポンサーを持つミケーレ・アルボレートに代わりF3000ドライバーのジャン・アレジをエントリーした。 アロウズはデレック・ワーウィックがレーシングカート運転中の事故で負傷したため、代わりにマーティン・ドネリーがドライブした。 予選予選では自国グランプリとなるプロストがチームメイトのアイルトン・セナを2/100秒上回るタイムで、前戦カナダGPに続きシーズン2度目のポールポジションを獲得した。フェラーリのナイジェル・マンセルがそれに続き、新車を投入したナニーニが4番手となった。 決勝スタートが切られると、2番グリッドからスタートしたセナがリードを奪って第1コーナーへ進入した。ところが、10番グリッドから好スタートを切ったマウリシオ・グージェルミンが第1コーナーでの減速時にティエリー・ブーツェンやナイジェル・マンセルなどを巻き込んでクラッシュした。グージェルミンはブーツェン車に接触した際に跳ね上がり裏返しに着地し、その際マンセルのフェラーリのリアウィング周辺を破壊した。この事故でレースは中断した。再スタートまでにグージェルミンとマンセルはマシンが間に合わず、ピットスタートを余儀なくされた。 再スタートが切られると、セナのマシンはディファレンシャルのトラブルで間もなく停止した。プロストは首位のまま第1コーナーを抜けると、以後誰にもその位置を明け渡すことなくゴールまで走り切った。プロスト以外の予選上位のドライバーは、ピットスタートとなったマンセル以外は7番グリッドのアリオーまでがマシントラブルで姿を消した。 マンセルは激しく追い上げ、レース終了時には2位まで挽回した。3位にはリカルド・パトレーゼが入り、自国でF1デビューを果たしたアレジが4位に入賞した。グージェルミンは規定周回数不足のため完走扱いとはならなかったものの、初のファステストラップを記録した。 結果予選結果
決勝結果
記録
脚注
関連項目
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