1979年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月2日に開幕した。ナショナルリーグの第11回リーグチャンピオンシップシリーズ(11th National League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、同日から5日にかけて計3試合が開催された。その結果、ピッツバーグ・パイレーツ(東地区)がシンシナティ・レッズ(西地区)を3勝0敗で下し、8年ぶり9回目のリーグ優勝および7回目のワールドシリーズ進出を果たした。
この年のレギュラーシーズンでは両球団は12試合対戦し、レッズが8勝4敗と勝ち越していた[1]。両球団がリーグ優勝決定戦で対戦するのは1970年・1972年・1975年に次いで4度目で、過去3度は全てレッズが制していたが、今回初めてパイレーツが勝利した[2]。レッズは1970年代の10年間でポストシーズン進出6回・ナショナルリーグ優勝4回・ワールドシリーズ優勝2回を果たし "ビッグレッドマシン" の異名をとっていた。しかし今シリーズを最後にチームは衰退期に入り、次のポストシーズン進出までは11年待つこととなる[3]。シリーズMVPには、第1戦の延長11回に決勝の3点本塁打を放つなど、3試合で打率.455・2本塁打・6打点・OPS 1.753という成績を残したパイレーツのウィリー・スタージェルが選出された。このあとパイレーツは、ワールドシリーズでもアメリカンリーグ王者ボルチモア・オリオールズを4勝3敗で下し、8年ぶり5度目の優勝を成し遂げた。スタージェルはワールドシリーズとレギュラーシーズンでもMVPを受賞し、1年で3つのMVPを総なめにした史上初の選手となる[注 1][4]。
試合結果
1979年のナショナルリーグ優勝決定戦は10月2日に開幕し、途中に移動日を挟んで4日間で3試合が行われた。日程・結果は以下の通り。
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月02日(火) |
第1戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
5-2 |
シンシナティ・レッズ |
リバーフロント・スタジアム |
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10月03日(水) |
第2戦 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
3-2 |
シンシナティ・レッズ
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10月04日(木) |
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移動日 |
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10月05日(金) |
第3戦 |
シンシナティ・レッズ |
1-7 |
ピッツバーグ・パイレーツ |
スリー・リバース・スタジアム
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優勝:ピッツバーグ・パイレーツ(3勝0敗 / 8年ぶり9度目)
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第1戦 10月2日
3回表、パイレーツは先頭打者フィル・ガーナーの本塁打で先制する。さらに一死後、1番オマー・モレノの打球が右翼手デーブ・コリンズの後逸により三塁打となると、2番ティム・フォーリが犠牲フライでモレノを還し、もう1点を加えた。4回裏、レッズは先頭打者デーブ・コンセプシオンが左前打で出塁し、次打者ジョージ・フォスターが2点本塁打を放って同点に追いついた。その後は両チームの先発投手、レッズのトム・シーバーとパイレーツのジョン・キャンデラリアがともに二塁も踏ませず、2-2のまま試合が進んだ。8回裏、パイレーツはキャンデラリアからエンリケ・ロモに継投し、レッズは先頭打者シーバーの代打にリック・アワーバックを送った。アワーバックが三振のあと一死一・二塁となったが、パイレーツはロモに代えてケント・テカルヴをマウンドへ送り、テカルヴは3番コンセプシオンを三ゴロ併殺に打ち取って危機を凌いだ。
そのまま試合は延長戦へ突入し、11回表、レッズの2番手投手トム・ヒュームが3イニング目のマウンドに上がった。パイレーツは先頭打者ティム・フォーリからの連打で無死一・二塁と走者を溜めると、4番ウィリー・スタージェルが初球を本塁打にして3点を勝ち越した。その裏、パイレーツの4番手投手グラント・ジャクソンが二死をとったあと、3番コンセプシオンと4番フォスターを出塁させる。さらに代わって登板したドン・ロビンソンも、5番ジョニー・ベンチに四球を与えて満塁とした。しかし最後はレイ・ナイトを空振り三振に仕留め、パイレーツが逃げ切った。
第2戦 10月3日
2回裏、レッズは先頭打者ダン・ドリーセンからの連打で一・三塁とすると、一死後に9番・先発投手のフランク・パストーレが犠牲フライでドリーセンを還して先制した。パストーレは、4回表一死満塁から6番ビル・マドロックの遊ゴロが併殺崩れとなる間に同点とされ、5回表には二死二塁から2番ティム・フォーリの適時二塁打で逆転を許した。1点を追うレッズ打線は、5回裏に二死二塁、7回裏に一死二塁、8回裏に二死満塁、と走者を得点圏へ進めるものの、なかなか同点には追いつけない。しかし9回裏、一死から代打ヘクター・クルーズと1番デーブ・コリンズの連続二塁打で同点とし、試合を前日に続く延長戦にもつれ込ませた。
10回表、レッズの投手はダグ・ベアーに代わった。パイレーツは先頭打者オマー・モレノが右前打で出塁し、次打者フォーリが犠牲バントで走者を進める。そして3番デーブ・パーカーの適時打でモレノが勝ち越しのホームを踏んだ。その裏、5番ジョニー・ベンチから始まるレッズ打線をドン・ロビンソンが三者凡退に抑え、パイレーツが連勝でシリーズ突破へ王手をかけた。
第3戦 10月5日
初回裏、パイレーツは先頭打者オマー・モレノが四球で出塁し、2番ティム・フォーリの打席の初球に盗塁を決める。さらにフォーリの遊ゴロで相手の野手選択を誘って三塁へ進むと、3番デーブ・パーカーの左飛でタッチアップして生還、先制点を奪った。その後、2回裏には一死一・三塁から2番フォーリの犠牲フライで2点目を挙げ、3回裏には4番ウィリー・スタージェルと6番ビル・マドロックのソロ本塁打で2点を追加、4回裏にも二死一・二塁から4番スタージェルの適時二塁打で6-0とした。パイレーツの先発投手バート・ブライレブンに対しレッズは、6回表にジョニー・ベンチのソロ本塁打で1点を返したのみに終わる。ブライレブンは9回表、先頭打者ダン・ドリーセンと次打者レイ・ナイトを続けて内野ゴロに打ち取ったあと、最後は8番シーザー・ジェロニモを三振に仕留め、9奪三振完投勝利でパイレーツのリーグ優勝を決めた。
脚注
注釈
出典
- ^ "1979 Cincinnati Reds Schedule," Baseball-Reference.com. 2021年1月1日閲覧。
- ^ Pohla Smith, "Reds, Pirates ruled playoffs in '70s," UPI Archives, October 3, 1990. 2021年1月1日閲覧。
- ^ Matt Yallof, "Reds-Bucs playoff race reminiscent of '70s showdowns / NL Central foes in midst of resuming rich history of postseason play," MLB.com, September 6, 2013. 2021年1月1日閲覧。
- ^ Craig Muder, "Stargell named 1979 co-NL MVP," Basenall Hall of Fame. 2021年1月1日閲覧。
外部リンク
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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永久欠番 | |
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ワールドシリーズ優勝(5回) | |
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ワールドシリーズ敗退(2回) | |
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リーグ優勝(9回) | |
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できごと | |
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傘下マイナーチーム | |
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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永久欠番 | |
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レッズ球団殿堂 | |
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