1940年のメジャーリーグベースボール以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1940年のできごとを記す。 1940年4月16日に開幕し10月8日に全日程を終え、ナショナルリーグはシンシナティ・レッズが2年連続3度目のリーグ優勝を、アメリカンリーグはデトロイト・タイガースが5年ぶり6度目の優勝を果たした。 ワールドシリーズは前年ヤンキースの4連覇で苦杯を舐めたシンシナティ・レッズがデトロイト・タイガースを4勝3敗で破り1919年以来2度目のシリーズ制覇となった。 1939年のメジャーリーグベースボール - 1940年のメジャーリーグベースボール - 1941年のメジャーリーグベースボール できごとシンシナティ・レッズは1938年にビル・マケシュニーを監督に招き翌1939年にリーグ優勝して、3年目のこの年も、バッキー・ウォルターズ(22勝)、ポール・デリンジャー(20勝)の両エースとジョニー・ヴァンダー・ミーアの投手陣、捕手のアーニー・ロンバルディ(.319)、フランク・マコーミック(.309)らの強力打線で、ブルックリン・ドジャースに12ゲーム差を付けてナショナルリーグを連覇した。リーグMVPはフランク・マコーミックで、シンシナティ・レッズは1938年にロンバルディ、1939年にウォルターズ、そして1940年にマコーミックと3年連続でレッズの選手がリーグMVPを獲得し、ナショナルリーグ屈指の戦力を誇った。 デトロイト・タイガースは、死球禍で退団したミッキー・カクレーン監督の代わりに1938年終盤に就任したデル・ベイカー監督の采配で、ハンク・グリーンバーグを一塁から外野にコンバートしたことが好結果を呼び、グリーンバーグが本塁打41本・打点150で二冠に輝き打率.340で、投手ではボボ・ニューサム(21勝)がエースとして活躍し、ヤンキースとインディアンスの三つ巴の争いを制しアメリカンリーグで優勝した。ヤンキースは首位タイガースと2ゲーム差で3位に終わり5連覇を逃した。 ワールドシリーズは2勝3敗で王手をかけられてから第6戦でウォルターズ、第7戦でデリンジャーの両エースが2試合でわずか1点の失点でタイガースを抑えて1919年以来の世界一となった。
規則の改訂
最終成績レギュラーシーズン
オールスターゲーム→詳細は「1940年のMLBオールスターゲーム」を参照
ワールドシリーズ→詳細は「1940年のワールドシリーズ」を参照
個人タイトルアメリカンリーグ
ナショナルリーグ
表彰シーズンMVP→「最優秀選手 (MLB) § BBWAAによる表彰」も参照
出典
関連項目外部リンク |
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