1969年のロッテオリオンズでは、1969年シーズンのロッテオリオンズの動向についてまとめる。
この年のロッテオリオンズは、濃人渉監督の3年目のシーズンであり、経営の主導は引き続き大映と毎日新聞社の合弁(実質は大映が主体)のままであるが、ロッテをスポンサーに迎えて業務提携を結んだことにより、チーム名がロッテオリオンズに改称されたシーズンである。
チーム成績
レギュラーシーズン
1969年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
|
阪急 |
--
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2位
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東映 |
3.5
|
近鉄 |
2.5
|
近鉄 |
0.5
|
近鉄 |
0.0
|
近鉄 |
0.5
|
近鉄 |
1.0
|
近鉄 |
2.0
|
3位
|
ロッテ |
4.0
|
東映 |
6.0
|
東映 |
8.0
|
東映 |
6.0
|
ロッテ |
8.0
|
ロッテ |
6.5
|
ロッテ |
5.5
|
4位
|
南海 |
6.0
|
ロッテ |
7.0
|
ロッテ |
8.0
|
ロッテ |
8.5
|
東映 |
14.5
|
東映 |
17.0
|
東映 |
19.5
|
5位
|
西鉄
|
南海 |
7.5
|
西鉄 |
9.0
|
西鉄 |
12.0
|
西鉄 |
15.0
|
西鉄 |
20.5
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西鉄 |
25.0
|
6位
|
近鉄 |
7.5
|
西鉄 |
10.0
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南海 |
16.5
|
南海 |
18.5
|
南海 |
22.0
|
南海 |
24.0
|
南海 |
26.0
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オールスターゲーム1969
できごと
- 1月18日 - 東京オリオンズ、お菓子メーカー・ロッテと業務提携、球団名を「ロッテオリオンズ」に変更。契約書は次の通り。
- チーム名を「ロッテオリオンズ」としPR活動などを一切を協力[2]。
- ロッテは以後5年間、毎年7000万円を融資する[2]。
- ほかに5億円を5年間無利子で融資[2]。
- ロッテは一切球団の人事、経営面にタッチしない[2]。
- 契約期間は5年[2]。
選手・スタッフ
[3]
表彰選手
ドラフト
この後4回指名されながら拒否し続け、1978年に中日ドラゴンズに1位指名されてようやく入団した藤沢公也が、この時初指名されている。
脚注
注釈
- ^ ロッテは経営主体として参画せず、現代の制度で言えば命名権取得に近い状態で参加していた。
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |