1969年のアトムズ(1969ねんのアトムズ)では、1969年のアトムズの動向をまとめる。
この年のアトムズは、別所毅彦監督の2年目のシーズンであり、産業経済新聞社とヤクルト本社との共同経営になったのに伴い、スポンサー名なしで「アトムズ」と名乗った唯一のシーズンでもある。
概要
この年は主砲デーブ・ロバーツが大活躍、8月までは打者3部門(打率・本塁打・打点)のトップをひた走り、「三冠王」と期待されたが、巨人戦でのケガで長期離脱となり、結局無冠で終わった。その一方、5月27日には主力だったルー・ジャクソンが膵臓壊死で死去という出来事も起き、同日の阪神戦では6回に13点取られるという屈辱を味わう。7月末にはジャクソンに代わる新外国人ボブ・チャンスが入団。8月からの出場ながら16本の本塁打を打つ活躍を見せる。チーム打率はリーグ2位の.244、本塁打もリーグ3位の139本と打撃陣は及第点だったが、投手陣が不振で、チーム防御率は3.71で最下位だった。最後は順位を1つ落として5位となった。この年は3位の大洋に16勝9敗1分と勝ち越したが、巨人には相変わらず弱く10勝16敗、最下位の広島にも12勝14敗と負け越した。シーズン終了後、1963年に西鉄ライオンズから移籍し、主力として活躍した豊田泰光が現役引退、17年の現役生活に幕を降ろした。
チーム成績
レギュラーシーズン
1969年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
---
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阪神 |
---
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巨人 |
---
|
巨人 |
---
|
巨人 |
---
|
巨人 |
---
|
巨人 |
---
|
2位
|
阪神 |
1.0
|
巨人 |
1.0
|
阪神 |
3.0
|
阪神 |
4.5
|
阪神 |
4.0
|
阪神 |
9.0
|
阪神 |
6.5
|
3位
|
巨人 |
1.0
|
大洋
|
中日 |
3.5
|
中日 |
7.0
|
大洋 |
7.5
|
大洋 |
9.5
|
大洋 |
11.0
|
4位
|
大洋 |
1.5
|
広島 |
3.0
|
大洋 |
6.0
|
大洋 |
7.5
|
アトムズ |
8.0
|
中日 |
11.0
|
中日 |
14.0
|
5位
|
アトムズ
|
中日 |
4.0
|
広島 |
7.5
|
アトムズ |
10.0
|
中日 |
12.5
|
アトムズ |
14.5
|
アトムズ |
16.5
|
6位
|
中日 |
4.0
|
アトムズ |
6.0
|
アトムズ |
10.0
|
広島 |
10.0
|
広島 |
13.0
|
広島 |
18.0
|
広島 |
18.0
|
オールスターゲーム1969
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
ドラフト
1位に八重樫、7位に大矢と、1978年初優勝時の捕手コンビがこの時指名されて入団、またその初優勝時に活躍した井原慎一朗が、「慎一郎」名義で指名され入団している。
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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