1981年のロッテオリオンズでは、1981年シーズンのロッテオリオンズの動向についてまとめる。
この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督の3年目のシーズンであり、最後のシーズンである。
概要
前年パ・リーグで前期を優勝しながら、後期優勝の近鉄にプレーオフで敗れたが下馬評では優勝候補の本命にあげられた。開幕してからもチームはレロン・リーとレオン・リーのリー兄弟やこの年レギュラー定着の落合博満、前年3000安打達成の張本勲などの活躍で前期は阪急や西武の反撃を振り切り、2年連続で前期を優勝。後期も制して完全優勝をもくろむ山内監督だったが、後期は日本ハムや阪急の後塵を拝して3位。プレーオフではロッテ有利の声が上がったが、日本ハムに1勝3敗1分で敗退し、2年続けてプレーオフでパ・リーグ優勝の夢は潰えた。
シーズン終了後、張本が現役を引退し、山内監督は契約延長を打診されるも辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1981年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
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4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
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1位
|
ロッテ |
--
|
阪急 |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
西武 |
1.5
|
ロッテ |
0.5
|
西武 |
2.0
|
3位
|
阪急 |
2.5
|
西武 |
1.5
|
阪急 |
3.5
|
4位
|
日本ハム |
5.0
|
日本ハム |
4.0
|
日本ハム |
4.5
|
5位
|
南海 |
5.5
|
南海 |
5.0
|
南海 |
6.0
|
6位
|
近鉄 |
6.5
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄 |
11.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
日本ハム |
--
|
日本ハム |
--
|
日本ハム |
--
|
2位
|
ロッテ |
0.5
|
阪急 |
1.0
|
阪急 |
3.0
|
3位
|
西武 |
1.5
|
ロッテ |
2.5
|
ロッテ |
8.5
|
4位
|
阪急 |
3.0
|
西武 |
3.5
|
近鉄 |
9.5
|
5位
|
南海 |
5.0
|
南海 |
6.5
|
西武 |
9.5
|
6位
|
近鉄
|
近鉄 |
7.5
|
南海 |
11.5
|
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*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
1981年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月7日(水) |
第1戦 |
日本ハムファイターズ |
1 - 0 |
ロッテオリオンズ |
川崎球場
|
10月8日(木) |
第2戦 |
雨天中止
|
10月9日(金)
|
10月10日(土) |
日本ハムファイターズ |
5 - 5 |
ロッテオリオンズ
|
10月11日(日) |
第3戦 |
ロッテオリオンズ |
1 - 4 |
日本ハムファイターズ |
後楽園球場
|
10月12日(月) |
第4戦 |
ロッテオリオンズ |
11 - 6 |
日本ハムファイターズ
|
10月13日(火) |
第5戦 |
ロッテオリオンズ |
4 - 8 |
日本ハムファイターズ
|
年間優勝:日本ハムファイターズ
|
オールスターゲーム1981
できごと
- 7月7日 - 前年入団しながらリー兄弟が在籍しているために「練習生」扱いだった李宗源投手(台湾出身)、自分をスカウトした三宅宅三と養子縁組となる事で日本人に帰化し、「三宅宗源」と改名、同時に選手登録される。
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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練習生 | |
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[1][2]
表彰選手
ドラフト
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |