鶴橋康夫
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)[1]。新潟県村上市出身[1]。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 略歴・人物兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員[1]。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している[1]。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業[1]。当初は新聞社志望だった[1]が、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる[1]。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社[2]。東京支社制作部に所属[3]し、一貫してドラマ演出を手がける[2]。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る[1]。カットバックを駆使した独特の演出手法を用いる[1]。1982年、「かげろうの死」で芸術選奨新人賞(放送部門)受賞[1][4]、他1980年代にはギャラクシー賞も受賞[1]。 同局取締役待遇エグゼクティブディレクターを経て[1]、2000年に定年。[要出典]しばらくは嘱託社員として在籍する[要出典]が、2003年に読売テレビを退社[2]し、東北新社へ移籍する[2]。同社では「エグゼクティブディレクター」の肩書きにて活動中[2]。 自らの作風について「テレビジョンっていうのは、遠くを見るっていうのが語源でね(…)いちばん遠いものって何だろうって考えたら自分の心じゃないかなと。だから心の闇を見てみよう」と思っており[5]、「他のドラマに対抗するのではなく、一流の文学や映画に対抗し得る、人の人生に深く刺さるような作品を創って、映像で人々を説得したい」とも話している[1]。テレビ評論家の佐怒賀三夫は鶴橋の作風について「事象をただ単一的な目で見ず、人間心理にまで入り込んで抽出して映像を心理的な遠近法でとらえている。最初から映像表現の可能性と多様性を知っている」と評する[1]。“鶴橋学校の生徒”を自称していた脚本家の野沢尚は「とにかくたくさん集めた映像を時間をかけて丁寧に編集している。中にはOKが出た映像も容赦なくカットしている」と話している[1]。 1976年のテレビドラマ『新車の中の女』では、信越本線・西上田駅にてロケに臨んだ際、浅丘ルリ子に「視聴者と相手役と監督である自分と、そして映像の神様への四者に向けてのためなので、4つの映像を撮るんです」としてロング、アップ、クロスカッティング、逆アングルの4パターンの映像全てで同じ演技を要求したという[1]。他に役所広司、大竹しのぶ、真田広之、古尾谷雅人らが鶴橋作品の常連と言われ[1]、大竹は鶴橋について「役者や自分自身よりも、作品の方を大切にする人」と話している[1]。 2023年10月9日、誤嚥性肺炎のため死去[6]。83歳没。 受賞
作品テレビドラマ(単発)読売テレビ時代
読売テレビ退社以降
テレビドラマ(連続)すべて読売テレビの放送作品。
映画舞台
関連項目脚注
外部リンク |
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