高梁町(たかはしちょう)は、岡山県上房郡にあった自治体である。
概要
現在の高梁市中心部に当たり、高梁川中流左岸に位置した。
このうち旧高梁町は城下町の地域である内山下・川端町・本町・新町・片原町・中之町・頼久寺町・石火矢町・御前町・小高下町・伊賀町・寺町・向町・間之町・甲賀町・八幡町・荒神町・柿木町・大工町・下町・南町・鍛冶町・中間町・弓之町・鉄砲町の計25町に当たる[1]。
また旧松山村は松山および、1974年から1975年に設定された横町・段町・中原町・旭町・栄町・東町・松原通・正宗町・浜町・和田町・奥万田町・上谷町・下谷町・原田北町・原田南町に当たる[1][2][3]。
歴史
自治体の沿革
主な出来事
行政
歴代町長
(旧)高梁町長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初 |
国分胤之 |
1889年(明治22年)7月26日 |
1892年(明治25年)3月2日 |
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2 |
荘直温 |
1892年(明治25年)3月9日 |
1893年(明治26年)2月24日 |
退任後松山村長に就任
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3 |
蓑内鉱一郎 |
1893年(明治26年)4月5日 |
1897年(明治30年)4月4日 |
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4 |
板倉信吉 |
1897年(明治30年)4月5日 |
1901年(明治34年)4月4日 |
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5 |
小林尚一郎 |
1901年(明治34年)4月16日 |
1905年(明治38年)4月15日 |
「尚」は旧字体
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6-9 |
蓑内鉱一郎 |
1905年(明治38年)6月23日 |
1917年(大正6年)11月28日 |
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10 |
堀潜蔵 |
1917年(大正6年)12月6日 |
1919年(大正8年)4月30日 |
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11 |
石川良道 |
1919年(大正8年)5月8日 |
1923年(大正12年)5月7日 |
前・阿哲郡長
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12-13 |
荘直温 |
1923年(大正12年)9月8日 |
1928年(昭和3年)6月1日 |
急逝のため辞職
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14 |
池上仙二郎 |
1928年(昭和3年)7月21日 |
1929年(昭和4年)5月9日 |
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参考文献 - [1][7]
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高梁町長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初 |
池上仙二郎 |
1929年(昭和4年)7月15日 |
1929年(昭和4年)11月6日 |
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2 |
藤岡晴次 |
1929年(昭和4年)12月5日 |
1931年(昭和6年)8月20日 |
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3 |
徳田蕃之 |
1931年(昭和6年)11月27日 |
1935年(昭和10年)11月26日 |
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4 |
福田要一郎 |
1935年(昭和10年)11月28日 |
1937年(昭和12年)7月20日 |
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5 |
永井恒三郎 |
1937年(昭和12年)7月25日 |
1941年(昭和16年)7月24日 |
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6 |
永井恒三郎 |
1941年(昭和16年)8月6日 |
1944年(昭和19年)8月22日 |
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7 |
東照平 |
1944年(昭和19年)9月27日 |
1945年(昭和20年)6月3日 |
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8 |
梶谷敬治郎 |
1945年(昭和20年)7月13日 |
1946年(昭和21年)11月5日 |
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9 |
山村久兵衛 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1951年(昭和26年)4月4日 |
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10 |
大河寅蔵 |
1951年(昭和26年)4月23日 |
1954年(昭和29年)4月30日 |
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参考文献 - [1][7]
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教育
主要施設
交通
出身者
脚注
関連項目