香川県道161号高松坂出線
香川県道161号高松坂出線(かがわけんどう161ごう たかまつさかいでせん)は、香川県高松市から坂出市に至る一般県道である。 概要高松市と中讃工業地帯とをつなぐメインルート・さぬき浜街道の一部として建設された。かつては全線が香川県道路公社が管理する有料道路の高松坂出有料道路だったが、2011年(平成23年)3月27日に無料開放された。現在は2車線での供用となっているが、2024年度(令和6年度)末には4車線化する予定。 路線データ
歴史計画から開通までモータリゼーションが進んだ1970年代、日本各地では急ピッチで道路整備が進められていた。瀬戸大橋開通を控える香川県においては、渋滞対策として高松市街と坂出市の瀬戸内工業地域をつなぐ「さぬき浜街道」の建設が急務だった[1]。両地域を最短で連絡するため五色台直下をトンネルで結ぶルートが策定されたが、総事業費の103億円は当時の香川県の年間道路予算に匹敵する金額であり、建設費の捻出は事実上不可能であった[1]。そこで考えられたのが、道路整備特別措置法に基づいた有料道路方式による整備である[1]。 完成4車線の計画ながら早期供用を優先して暫定2車線で事業化し、1973年(昭和48年)に着工、8年後の1981年(昭和56年)に香川県道路公社が管理する「高松坂出有料道路」として全線開通した。通行料金の徴収によって建設費用を償還し、開通から30年後の2011年(平成23年)には無料開放する計画だった[2]。 交通量の低迷しかし開通してみると、実際の交通量は予測段階のそれとは大きく異なっていた。開通初年度早々に1日当たり5,626台の予測に対して実際は1,611台と出鼻を挫かれると、以降もさぬき浜街道の全通や瀬戸大橋開通など交通量増加を予測していたイベントではいずれも思う程の伸びは実現せず、赤字が続いて債務は130億円にまで累積した[1]。1988年(昭和63年)の3月には当時の土木部長が県議会の土木委員会で、計画通りの償還完了が難しい事を初めて認めている[1]。 1988年(昭和63年)の瀬戸大橋の開通後は、営業黒字に転じたものの、それでも交通量は予測の4割程度で推移し、管理する道路公社も打つ手ないままその後も時間だけが過ぎた[1]。それに伴い県からの支援も不可欠となり、当初は国や民間の金融機関からも行っていた資金借入を県からのみに借り換えたほか、2003年(平成15年)には県からの道路公社への貸付金71億円を無利子に転換している[1]。 無料開放とその後結局、料金徴収期限の2011年(平成23年)までに道路公社の抱える債務を返済する事はできなかった。県では、通行量の実績が累計で約6,160万台(当初予測の37 %)に留まった要因について、周辺地域の開発の遅れや瀬戸大橋の交通量低迷、厳しい社会情勢などを挙げている[3]。 徴収期間の延長か、税金投入による無料開放かが注目されたが、県の判断は後者だった。高松市や坂出市が無料開放を強く望んでいるのに加え、徴収延長による収入と、無料開放による便益(周辺道路の渋滞緩和など)との比較等を総合的に勘案した結果であった[3]。県は2010年度予算で81億円を補助して道路を無料開放[3]、道路公社は同年度内で解散となった。 道路が2011年(平成23年)3月27日に無料開放されると交通量は一転して急増し、無料化前の約2.5倍にのぼった[4]。無料開放後の交通量は1万400台と事前に見積もられていたが[2]、実際には1万2千台を超え[4]、今度は良い意味で予測を裏切る形となった。しかし当初計画の4車線拡幅については、県は目安となる交通量を概ね1万5千台としており、また事業費も50億円程度かかると見込まれる事から、事業着手時期については不透明であった[1]が、2024年(令和6年)度の4車線化が予定されている。 年表
路線状況有料道路時の通行料金
料金所は五色台トンネルの高松市側入口の手前にあった。 道路施設トンネル地理通過する自治体交差する道路
沿線脚注関連項目 |
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