風と共に去りぬ (宝塚歌劇)
『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ)は、宝塚歌劇団のミュージカル作品。植田紳爾脚本・演出。原作はマーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』(原題:Gone with the Wind)。 1977年初演。初演時に人気を博して以降、繰り返し再演されている宝塚歌劇の看板演目のひとつ。5組すべてによって上演されており、2014年11月16日の12時公演にて、観客動員数300万人を突破[1]。『ベルサイユのばら』に次ぐヒット作である。 概要本作の初演された1970年代には既に、原作の日本語訳は数々の文学全集に収められるなどして広く読まれており、映画版(1939年制作)は日本での初公開(1952年)が大ヒット、繰り返し再上映もなされていて、名作洋画の評価を確立していた。舞台化も世界に先がけて、既に歌劇団と同系列の東宝によって敢行(1966年/ストレート・プレイ版)されてこちらもヒット、更に1970年には『スカーレット』として東宝ミュージカル版も上演されていた。 上記の通り、総合芸術化(現在でいうメディアミックスともいえる)において成功例が先行・蓄積されていた恩恵もあって、作品の知名度は抜群であり、1975年以降の『ベルサイユのばら』(通称「ベルばら」)舞台版の大当たりに沸く歌劇団は、「ベルばら」ブーム以後のヒット作に育てたいと、宝塚版『風と共に去りぬ』の上演を企画した。改めて上演権を取得、東宝版とは異なる脚本・楽曲を新たに書きおろして、初演された。日本人作曲家による初めてのミュージカル版となる。 初演以来、男役トップスターがバトラーを演じて主演する通称「バトラー編」が多く上演されているが、1978年雪組・1978年花組・1994年雪組では、男役トップスターをスカーレット役に配役した「スカーレット編」が上演されている。スカーレット・オハラ役は気性の激しい役柄に相応しく、初演では男役スターの順みつきが演じ、以後も男役スター及び男役経験のある娘役によって演じられることが多い。 宝塚版最大の特徴は、「バトラー編」において、ヒロインの分身である「スカーレットII」という彼女の本音を語る役が登場することである。なお「II」に関しては娘役が配役される例も少なくなく、男役とのダブルキャストの場合もある。またメラニー役の比重が重くないことが特徴のひとつであったが、2002年版では「バトラー編」・「スカーレット編」双方から構成される総集編として脚本が改稿され、アシュレ・メラニー夫婦の劇的比重も増した。 2002年度(第12回)日本映画批評家大賞のミュージカル大賞を受賞。 スタッフ1977年 月・星組(スタッフ 宝塚公演)1978年 雪・花組(スタッフ 宝塚公演)1984年 雪組(スタッフ)※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両公演共通 1988年 雪組(スタッフ)※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両公演共通
1994年 月組(スタッフ 宝塚・東京公演)※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両公演共通
1994年 雪組(スタッフ)※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両公演共通。宝塚80年史の出典は宝塚のみ。
2001年 星組(スタッフ 全国ツアー)
2002年(スタッフ 日生劇場)
2013年 宙組(スタッフ)※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両公演共通。
あらすじ以下の節では、基本的なあらすじを記述している。 1994年の「スカーレット編」再演時に、樫の木屋敷でのスカーレットのアシュレへの告白の場面とバトラーとの出会い・チャールズとの結婚の経緯の新場面が追加された後、初演(1978年)の冒頭の敗戦後の南部へ繋ぐ展開となった。2002年の「総集編」では、1994年の追加場面を「バトラー編」の冒頭に繋ぎ、第2部は「スカーレット編」が中心となり、ラストは「バトラー編」のものであった。 バトラー編第一部スカーレット・オハラは愛するアシュレと結婚できなかった腹いせに、チャールズと結婚するも間も無く死別しアトランタへやって来た。チャリティーバザーの夜、女性と踊る権利を得るイベントで、喪中のスカーレットに法外な値(金貨で150ドル)を付けた男こそが、レット・バトラーであった。 今はメラニーの夫・アシュレが一時帰還し、スカーレットはサッシュを贈ると共に自分の想いを告白するが、彼はメラニーを頼むと告げるだけだった。 戦火が近づき、スカーレットは妊娠中のメラニーらと共に、レットに頼んでタラへ連れて行ってもらう。途中でレットは南軍に志願し戦場へ赴く。やがて南軍は敗北。荒れ果てたタラを見て、スカーレットはこの土地を守り抜くと決意する。 第二部スカーレットはレットと結婚していた。雑貨店をアシュレに任せていたが、スカーレットと二人で抱き合う姿が目撃されて町の噂になる。激高したレットはスカーレットを強引に2階へ連れて行こうとするが、スカーレットは足を踏み外して転落し大怪我を負う。強い後悔と不安にかられたレットはメラニーに、スカーレットを心から愛していると告げる。 メラニーは流産し死期を悟り、スカーレットにレットの真意を告げ息を引き取る。その言葉によってスカーレットがレットへの愛情に気付き彼に告白するが、時既に遅く彼はひとり去っていくのだった。 スカーレット編※1978年の上演を元に記述しています 第一部南軍の敗北によって、南北戦争は終結。スカーレットは荒廃した農場を立て直すため、自ら懸命に働いていた。しかし税金が払えずタラを手放さなくてはならない危機に陥る。レットに相談するが、頼みには応じてもらえなかった。そこでスカーレットは妹・スエレンの婚約者で裕福なフランクを欺き、彼と結婚して税金を支払った。 しかし、北部人と南部人の対立の中で、フランクは死亡してしまう。 第二部スカーレットはレットと結婚していた。雑貨店をアシュレに任せていたが、スカーレットと二人で抱き合う姿が目撃されて町の噂になる。激高したレットはスカーレットを強引に2階へ連れて行こうとするが、スカーレットは足を踏み外して転落し大怪我を負う。強い後悔と不安にかられたレットはメラニーに、スカーレットを心から愛していると告げる。 しかしメラニーは流産し死期を悟り、スカーレットにレットの真意を告げ息を引き取る。その言葉によってスカーレットがレットへの愛情に気付き彼に告白するが、時既に遅く彼はひとり去ってしまった。スカーレットは、「明日考えましょう」と誓う。 登場人物
楽曲
ほか フィナーレにおいて、デュエットダンスに「Night and Day」が使用されることがある。 これまでの公演1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
配役一覧
太字がトップスター(=主演)。不明点は空白とする。
エピソード初演当時、それまで宝塚歌劇では、老人役など脇役がヒゲを付けることはあっても、二枚目男役スターがヒゲを付けることは無かった。しかし本作では、男役トップスター榛名由梨が演じるレット・バトラーについて、原作に口髭の描写があることや、原作への準拠を薦めた脚本の植田の提案などから、舞台でも慣例を破って、ヒゲをつけて演じることに決まった。当初はファンに配慮し、一幕目はヒゲつき・二幕目はヒゲ無にしたが、かえって不自然なため両幕とも付けることにした。[注 15]。宝塚大劇場公演が好評のうちに終わり、東京公演を迎えると、“ヒゲが箱根を越えるか”と再び話題になったが、東京公演でもヒゲつきで上演、ヒットを飾り、以来、宝塚では男役スターの付けヒゲに抵抗が無くなった。 「バトラー編」「スカーレット編」の通称は、公演ごとの内容の違いや、男役トップスターがどの役を演じて主演したか、の違いに着目して、公演ごとの区別・呼び分けのためにファンが用いた通称であるため、現在に至るまで、公演題名として公式に謳われたことは一度もない。 宝塚が伝統的に男役中心ということもあり、本公演・全国ツアー公演(かつての地方公演)いずれも、「バトラー編」が圧倒的に多いため、「スカーレット編」が宝塚・東京以外で上演されたのは、1978年花組版の福岡及び小倉公演のみとなっている。 初演の際の上演契約で舞台映像について規制されていたため、初演からしばらくはヒット作ながら、テレビでの舞台実況中継は実現しなかった。1994年再演の際、初めてNHK(衛星放送)での実況中継が実現したため、この再演にあたって、少なくとも舞台映像に関する契約条項が見直され、制限が緩和されたと思われる。その後、2002年再演からは、実況DVDが発売されるようになり、以降の再演の多くはディスクでも楽しめるようになった[注 16]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
関連
他実況公演レコード・CD 主題歌シングル 多数 DVD(ビデオ)およびBDが発売されている公演もある。 外部リンク |
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