銘苅淳
銘苅 淳(めかる あつし、1985年4月3日 - )は、沖縄県浦添市出身のハンドボール選手。 関西学院大学男子ハンドボール部ヘッドコーチ 来歴実業団入り前浦添市立港川中学校時代は2000年の第9回JOCジュニアオリンピックカップでオリンピック有望選手に選出[1]。中学卒業後は沖縄県立那覇西高等学校へ進学した。 高校卒業後は筑波大学へ進学。2006年の関東学生ハンドボール・春季リーグで特別賞を受賞した[2]。 2007年は春季リーグ・秋季リーグで優秀選手賞を受賞[3][4]。全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)では優秀選手に選ばれた[5]。 日本リーグ時代2008年に日本ハンドボールリーグのトヨタ車体へ加入。同年7月には第19回男子世界学生ハンドボール選手権大会の日本代表U-24に選出[6]。帰国後に第13回ヒロシマ国際ハンドボール大会の日本代表に選ばれた[7]。 2009-10年シーズンでは7mスローでリーグトップの28点を記録。同シーズンのプレーオフ決勝では大同特殊鋼に敗れたものの、計11得点(7mスローは4得点)を記録[8]し、殊勲選手賞に選出された[9]。 2011-12年シーズン終了後、故障などからチーム構想外となり海外移籍を決意した[10]。 ハンガリー時代2012年にハンガリーのケチケメートSEへ移籍したが、開幕直後にチームが資金難に陥り[11]、10月にツェグレードKKSEへ移籍した。2012-13年シーズンはリーグ最多の119得点を記録したが、シーズン途中で前所属のケチケメートが破産でリーグを離脱したため、得点の記録は認められなかった[11]。 2013年7月に同リーグのジェンジェジュへ移籍[11]。2014年には1部のバルマジュイヴァーロシュへ移籍し、レギュラーシーズンではリーグ最多の120得点を記録した[12]。 2015年に1部Bリーグ(2部)のニーレジハーザKCへコーチ兼任選手として移籍[13]。 2016年2月に1部のメゼーケベジュドへ移籍した。 スペイン時代2016年8月にスペイン・リーガASOBALのアンヘル・ヒメネス・アヴィア・プエンテ・ヘニルへ移籍[14]。 日本リーグ復帰2017年10月16日に日本ハンドボールリーグの北陸電力と契約したことが発表された[15][16]。 2019-20年シーズンから選手兼任コーチに就任。 詳細情報年度別成績
タイトル・表彰日本ハンドボールリーグ
代表歴日本代表大会別成績
日本代表U-24
日本代表U-21
脚注
外部リンク
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