鉄道無線鉄道無線(てつどうむせん)は鉄道業務で使用される無線通信設備の総称。 日本における鉄道無線歴史かつては列車乗務員と駅が直接連絡を取る装置が不十分だったため、緊急を要する伝達事項もすぐさま乗務員に伝えることができなかった。日本では、1962年(昭和37年)5月3日に常磐線三河島駅で発生した脱線多重衝突事故(三河島事故)で、連絡装置の整備不十分がこの事故の被害規模をより甚大なものにしたとされ、当時の日本国有鉄道(国鉄)は、自動列車停止装置 (ATS) を全線に設置するとともに無線を使用した列車防護装置を開発することとなった。 国鉄日本国内では戦前の1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)にかけて当時の鉄道省が東海道本線大井町 - 小田原間で日本国内で初めての列車無線の試験が実施された[1][2]。 戦後は列車無線の導入に向けた開発が始まり、当初は誘導無線方式で計画が始まり、1951年(昭和26年)東海道本線静岡 - 浜松間で実用試験を実施した[1]。翌1952年(昭和27年)には鉄道開業80周年を記念して東海道本線東京 - 沼津間で公開試験を実施、続いて信越本線大宮 - 横川間や鹿児島本線門司 - 鳥栖間で公開試験を実施した[1]。 その後は空間波無線方式で進めることに変更された[3]。1956年(昭和31年)に行った空間波無線方式の試験は、東海道本線東京 - 神戸間において6月から1か月間にわたり実施され、10月には丹那トンネルにおいてトンネル内での通信状態の試験が実施された[3]。車両の移動局はスハニ試験車に搭載、基地局は試験に合わせて東京から大阪に向けて順次移動させながら、通信状態の確認が実施され、試験結果はトンネル区間を除いて予想以上の良好な結果が得られた[3]。 1957年(昭和32年)3月には東海道本線で特急つばめ、はと、さくら(当時は機関車が客車を牽引)先頭の機関車(運転士) - 後部の客車(車掌)間の通話状態、先行列車と後続列車間の通話状態の試験が実施された[4]。 1960年(昭和35年)8月、東海道本線で151系を使用した特急「こだま」・「つばめ」の「パーラーカー」に列車無線を使用した業務用機能(7月使用開始)に加えて乗客向けサービスとして列車電話(8月使用開始)が搭載された[5][1][2](1964年10月、東海道新幹線開業に伴いサービス終了[1])。使用期間は4年ほどと短かったが、国鉄では初めての列車無線の実用化であった[6]。 1964年(昭和39年)開業の東海道新幹線では運転指令所と列車乗務員の連絡手段としてUHF帯の空間波6チャンネルを使用した無線装置が搭載された。このうち4チャンネルは列車公衆電話に供用され、2チャンネルを業務用電話に使用した。通話方法は列車無線とは全く異なり、電話をかけて受話器で通話するものであった。1989年(平成元年)以降は、東海道新幹線から順次LCXに換装された。ただし、後発組となる東北・上越新幹線では開業当初からLCX方式を使用しており、回線数の増加とデータ通信に対応していた[7]。 在来線は1966年(昭和41年)3月、常磐線上野駅 - 取手駅間に空間波無線方式の通話無線と防護無線が設置された[6][8]。 昭和40年代以降の無人駅、CTC化の進捗に伴い、客車運転区間では、機関車への出発合図を無線で行う必要が生じたことから、400MHz帯携帯無線機の使用が一気に広まった。 1981年(昭和56年)12月、山手線・京浜東北線のATC化に伴い、異常時の連絡用として同時に列車無線が導入された[6]。この列車無線は個別通話、一斉呼び出し、割込機能など在来線では初めて本格的な列車無線の機能を備えたものであった[6]。1982年(昭和57年)3月から1984年(昭和59年)3月にかけて、下記に記載の全国での列車無線導入に備えた事前試験として、青梅線で2年間の長期試験が実施された[6]。 国鉄分割民営化直前の1986年11月ダイヤ改正では、全ての列車乗務員と駅や運転指令所が直接連絡が取れる列車無線や乗務員無線が導入されたが、山間部を走るローカル線では、多くの不感地帯を残す問題も露見した。 特殊な例山陽本線の瀬野駅 - 八本松駅間(通称瀬野八)のでは、補助機関車連結時の連絡用として誘導無線が導入された[2]。続いて、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠越え(1997年(平成9年)9月30日限りで廃止された)では、1963年(昭和38年)7月の粘着運転開始時にEF63形電気機関車とEF62形電気機関車間の連絡用(下り列車の場合、先頭のEF62形と客車・貨車を挟んだ補機のEF63形では距離が離れてしまうため)に誘導無線が導入された[9][2][10]。 1962年(昭和37年)12月に函館本線・室蘭本線函館 - 札幌間、1967年(昭和42年)12月に東北本線八戸 - 青森間において、青函連絡船の乗継情報連絡用として車掌から関係業務機関との連絡用として導入された[6][10]。 北海道では、80系気動車に列車無線が装備されていた。電電公社へ災害用として割り当てられ通常は使用されていない、150Mc帯の1周波数について、国鉄が二次業務として免許を受け、主に上り列車が定時運転か遅延かを連絡船へ伝達する目的で使用された。 私鉄・地下鉄大手私鉄(私鉄)では1954年(昭和29年)8月に阪神電気鉄道が誘導無線方式[11]で開始、同じ時期に京王帝都電鉄が同方式で試用開始した[1]。 地下鉄では、1960年(昭和35年)に営団地下鉄日比谷線(東京)、大阪市営地下鉄、名古屋市営地下鉄においても誘導無線方式の列車無線が導入された[1](鉄道事業者名は当時)。 種類JR在来線
→詳細は「列車無線」を参照
→詳細は「列車防護無線装置」を参照
→詳細は「TC型無線式列車接近警報装置」を参照
JR新幹線
私鉄・地下鉄
→詳細は「列車無線」を参照
→詳細は「列車防護無線装置」を参照
ミャンマーにおける鉄道無線ミャンマー国鉄(Myanma Railways, MR)のヤンゴン・マンダレー幹線には輸送指令所(Operation Control Center, OCC)が4か所存在するが、OCCと各駅間の無線装置しかなく、線区全体を一元管理された装置を持っていなかったため列車乗務員に適切な指示を行うことが出来ていなかった[12]。指令所と各駅間の通信手段はUHF無線と電話のみであり、指令室による情報収集、判断、指令伝達を円滑に行うことができず、結果的に実質的な判断は各駅が行っていた[12]。列車の在線位置の把握も事故や運行障害の発生時にのみ無線で実施されていたため、列車の在線状況がリアルタイムで把握できる把握できるシステムを導入することになった[12]。 脚注
参考文献
関連項目 |