野呂川ダム
野呂川ダム(のろがわダム)は、広島県呉市安浦町、二級河川・野呂川水系野呂川に建設されたダム。高さ44.8メートルの重力式コンクリートダムで、洪水調節・不特定利水を目的とする、広島県営の治水ダムである。ダム湖(人造湖)の名は野呂峡やすらぎ湖(のろきょうやすらぎこ)という。 歴史瀬戸内海国立公園・野呂山を水源とし、中畑川・中切川を合わせて瀬戸内海へ注ぐ野呂川は、長さ10.5キロメートル、流域面積43.2平方キロメートルの二級河川である[2]。下流部において安浦町の市街地を貫流していることから、水害に見舞われることが多く、戦後より計画高水流量175立方メートル毎秒を想定した河川改修工事が進められてきた。しかし、1967年(昭和42年)7月の集中豪雨(昭和42年7月豪雨)による被害は甚大で、これを契機に恒久的かつ抜本的な対策として、野呂川ダムの建設が計画された。洪水時にダムで190立方メートル毎秒を貯水することで、大きく引き上げられた計画高水流量400立方メートル毎秒を230立方メートル毎秒に低減(洪水調節)するというものである。放流設備として幅10メートルの洪水吐ゲート(ローラーゲート)を1門設置。洪水時(ダム流入量300立方メートル毎秒を想定)はゲート開度を1.1メートル一定[注 1]とし、放流量を最大110立方メートル毎秒に自然調節する。このほか、下流に広がる農地60.87ヘクタールに供給する不特定灌漑用水の確保(不特定利水)も合わせて計画に盛り込まれた[4]。 国庫補助のもと、1969年(昭和44年)に予備調査を、1970年(昭和45年)には実施計画調査を開始。1972年(昭和47年)、補償基準書が調印され、同年より道路付替工事およびダム本体建設工事が着工した。その後、1975年(昭和50年)に試験湛水を開始し、1976年(昭和51年)3月に竣工。建設費は23億2,000万円であった[4]。 周辺JR呉線・安浦駅から自動車で約15分間、もしくは東広島呉自動車道・黒瀬インターチェンジから自動車で約20分間で野呂川ダムに到着する[6]。ダム周辺では1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)3月にかけて環境整備事業が実施され、公園や広場、キャンプ場、運動場が建設された[4]。ダム左岸に野呂川ダム管理事務所(広島県呉市安浦町中畑641-11)があり、ダムカードの配布も行っている[6]。 ダム湖は1976年に「野呂峡やすらぎ湖」と命名。ダム完成により、安心して暮らせるようにとの思いが込められている[7][注 2]。湖畔の道は桜の並木道として整備。湖面はカヌーの練習場としても利用されている[4]。 野呂山への登山口として知られていた安浦町であるが、その役割は隣の川尻町に開通した観光道路「さざなみスカイライン」に取って代わられたことから、安浦町は野呂川ダムの整備やグリーンピア安浦(現・グリーンピアせとうち)の誘致など、新たな観光資源の創出に努めていった[9]。
実績2010年(平成22年)7月13日から14日にかけて梅雨前線が停滞し、野呂川ダム地点で時間最大57ミリ、累計307ミリの雨量を観測した(平成22年7月豪雨)。ダム流入量は113.5立方メートル毎秒に達したが、ダム放流量を最大39.0立方メートル毎秒に抑制することで、74万5,000立方メートルの水を貯留。これにより、下流の中畑川合流点における河川水位を、ダムがない場合と比較して83センチメートル低下させた[10]。 諸問題
2018年7月5日から7日にかけての雨雲の動き(右上が野呂川ダム流域)
2018年(平成30年)7月7日、平成30年7月豪雨の影響で、同日早朝に野呂川ダムが満水となった[11]。このとき緊急放流として180立方メートル毎秒の水が放出され、下流部では浸水被害が生じた[12]。一連の操作が「流入量以上の水を放流しない」[注 3]とする規定に反したものであったとする疑いがあることから、広島県は有識者を集めた検証の場を設けた[14]。検討の結果は10月24日に報告された。災害当時、ダム管理事務所は交通・通信インフラの損傷により限られた人員・情報での運用を余儀なくされていた。緊急放流の際、規定に反してゲート開度を一定としたのは、そうした状況下においてさらなる流入量の増加に対応するため、ダム水位を下げるという判断によるものであった。結果として下流の浸水域が拡大することとなったが、浸水した60.8ヘクタールのうち、緊急放流の影響で拡大したと考えられる範囲は0.47ヘクタールに留まり、大半は支流の中畑川の氾濫によるものと結論づけられた[15]。 また、豪雨の影響で大量の土砂がダムに堆積(堆砂)し、ダム容量を圧迫。洪水調節機能の低下が認められたことから、台風など大雨が予想される際、あらかじめ水位を低下させておく措置が取られた[16]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
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