那須川瑞穂那須川 瑞穂(なすかわ みずほ、1979年11月22日 - )は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走・マラソン)元選手。岩手県水沢市(現・奥州市)出身。現役中はユニバーサルエンターテインメント(佐倉アスリートクラブ)に所属。岩手県立花巻南高等学校卒業後、積水化学にて小出義雄の指導を受け、その後小出と共にアルゼ(2009年11月1日に「ユニバーサルエンターテインメント」にチーム名変更)へ移籍した。 略歴2002年5月のゴールデンゲームズinのべおかでは1500mで、2位ながら4分16秒24の自己ベスト記録をマーク。それから1年後、2003年5月のゴールデンゲームズinのべおかでは、同じく1500mで4分22秒74のゴールタイムで初優勝。 初マラソンだった2004年1月25日の大阪国際女子マラソンでは、レース前半超スローペースながらも冷静に進めて25Km過ぎ迄先頭集団に加わり、結果ゴールタイムは2時間29分台をマークし、4位に入る健闘を見せた。2回目のマラソンも翌2005年1月30日の大阪国際女子マラソンだったが、2時間30分台の8位に留まった。 2008年6月28日開催の、北京オリンピック日本代表選考を兼ねた第92回日本陸上競技選手権大会では、女子3000mSC(障害走)に出場。自己記録となる10分05秒37のタイムを出したが、優勝の早狩実紀には及ばず4位に留まり、自身初の夏季オリンピック選出は成らなかった。 4年ぶり3回目のフルマラソンとなる、2009年3月22日の東京マラソン女子の部において、強風が吹き荒れる悪コンディションの中、2時間25分台の自己ベストタイムでマラソン初優勝を果たし、また優勝賞金1100万円を獲得した。 2012年11月18日の横浜国際女子マラソンは、日本女子でトップの2位に入った。しかしゴールタイムは2時間26分台後半と、世界陸上モスクワ大会女子マラソン選考内定条件の2時間24分未満には3分近く届かず、さらに優勝のリディア・チェロメイ(ケニア・2時間23分7秒)には3分35秒も離されてしまい、大きな課題が多く残るレース内容となる[1]。結局は設定された選考基準記録に遠く及ばない完走タイムと、消極的過ぎたレース展開がマイナス材料となり、翌2013年4月25日に日本陸連は世界陸上女子マラソン代表を5枠から3枠に削減したため、那須川は無念の落選となってしまった[2][3]。 2016年11月13日のさいたま国際マラソンでは、日本女子首位の5位でフィニッシュ。だが、翌2017年8月開催予定の世界陸上ロンドン大会・女子マラソン派遣記録(2時間22分30秒以内)から10分以上も遅れ[4]、自身念願だった世界陸上選手権代表入りは絶望となり、結果的に同マラソンが那須川自身現役最後のレースとなった。 2016年11月末、所属先だったユニバーサルエンターテインメントを退社。2017年1月24日、「体力の限界」を理由に現役引退を表明した[5]。 現在は三重県桑名市在住。マラソンやロードランニングのゲストや、プレイベントで走り方の指導を行っている。 自己記録
マラソン全記録
脚注
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