遠藤謙
遠藤 謙(えんどう けん、1978年〈昭和53年〉7月10日[1]- )は、ロボットや義足を専門とする日本の研究者、エンジニア。マサチューセッツ工科大学Ph.D[4]。ソニーコンピュータサイエンス研究所アソシエイトリサーチャー、株式会社Xiborg[注 1]代表取締役として、ロボット義足、途上国用義足[注 6]、競技用義足(パラリンピック用)の研究開発に取り組む[21]。子供にスポーツ義足を貸し出す「ギソクの図書館」[注 3]を設立し[7][8]、静岡県でも「Blade for All」を立ち上げた[15]。乙武洋匡とは「OTOTAKE PROJECT」[注 4]も推進している[12][13]。D-leg[注 2]やSee-Dの代表[22]、北海道科学大学[23][24]や熊本大学[25][26]の客員教授を歴任。2014年には世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出されている[18][19]。 来歴・人物生い立ち・日本での学生時代静岡県沼津市出身[2]。加藤学園幼稚園[27]、加藤学園暁秀初等学校[27]、沼津市立第三中学校[28]、静岡県立沼津東高等学校[28]、慶應義塾大学理工学部機械工学科[29][1]卒業。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了[29][1]。慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程中退[30][31]。 幼少期はプラモデルやミニ四駆などのもの作りが好きで[32]、中学校・高校ではバスケットボールに打ち込んだ[33][34]。井上雄彦のバスケットボール漫画もよく読んでおり、『リアル』で骨肉腫や義足の存在を知ったという[32]。高校卒業後は、父と兄の母校でもある慶應義塾大学に入学[29]。2001年に慶應義塾大学理工学部機械工学科を卒業、同大学大学院に進学する[1]。 同年、北野宏明がリーダーを務める科学技術振興事業団「ERATO北野共生システムプロジェクト」に参加し[1][35]、ヒューマノイドロボット「PINO」の開発に携わる[35]。二足歩行ロボットの進化的計算に取り組み、特許も出願、取得している[36]。また、松井龍哉がデザインしたロボット「Posy」の制御にも携わった[37][注 7]。 ERATOのプロジェクトでは2002年12月から2003年5月まで学生技術員の扱いで、古田貴之が率いるSymbolic Intelligence Groupに所属[41]。同グループは2003年6月に千葉工業大学未来ロボット技術研究センターに移籍し[42]、遠藤も2004年から同センター研究員を務める[1]。この間、慶應義塾大学では2003年に修士課程を修了し博士課程に進学し、学部と大学院では前野隆司の研究室に所属していた[1]。 マサチューセッツ工科大学時代骨肉腫を患った高校の後輩が足を切断することになったのをきっかけに、義足開発の道へ進むことを決意[33][34]。2005年に慶應義塾大学の博士課程を中退してマサチューセッツ工科大学(MIT)メディア・ラボへ留学し、ヒュー・ハー教授の下で電気情報工学の博士候補生としてバイオメカニクス・ロボット義足の研究を開始する[43][44]。ヒュー・ハーが2007年に開発していた「MITパワードアンクル」の疲れやすいという問題点の解消を目指した[45]。 遠藤はまず人間の歩行を解析し、足で地面を蹴り出すことが歩行であるという仮説から、ばねやモータを大幅に軽量化した義足を開発。義足の装着者からも「自分の足で歩いているよう」という評価を得る[45]。遠藤が基礎研究に参加したロボット義足は後の2012年にヒュー・ハーによって起業化、製品化されており[46]、遠藤自身も博士課程の研究成果で[47]MIT Technical Review誌の「2012年35歳以下のイノベーター35人」に選出された[5][18]。 MITには1月に学生自身が授業を開講する制度[注 8]があり、遠藤は小型ヒューマノイドロボットを扱う「Robo-one Workshop」を立ち上げたり[48]、発展途上国に関する講義「D-lab」の講師を務めた[30]。D-labでは発展途上国に出向いて実際に義足を製作し[49]、D-labを日本へ紹介する活動にも取り組んだ[22]。また、途上国適正技術開発のコンテストであるSee-Dコンテストにも携わった[22]。 一方で、2011年にポール・ポラックの著書『世界一大きな問題のシンプルな解き方』の日本語翻訳本[注 9]で序文を担当している[52]。留学生活は厳しく、ストレスによる突発性難聴になることもあったが[33][53]、2012年6月にPh.Dの学位を取得する[33]。なお、この時点で既婚、1児の父であった[54]。 義足エンジニアとして2012年、学位を取得した遠藤はソニーコンピュータサイエンス研究所(以下、SonyCSL)の研究員に就任。ロボット義足の実用化に向け、足首のばねを使用して軽量化した義足の開発を続ける。一方、途上国義肢の開発・普及を行うD-leg[注 2]の代表[5]も務め、See-Dコンテストでも代表に就任した[33][22]。2013年[22]頃から、「義足エンジニア」と呼ばれるようになる[55][56][57]。 義足の選手が健常者のメダリストを超えることを目指していた遠藤は、2012年9月に元陸上選手の為末大と出会う[61]。チェアスキー開発に携わっていた杉原行里をメンバーに加え、2014年5月に株式会社 Xiborgを起業[61]、代表取締役に就任する[62][63][64]。2020年東京パラリンピックでのメダル獲得を目標にパラリンピック出場者用義足の開発に取り組む[65]。豊洲に拠点を構え、カーボンブレードの製作には東レ・カーボンマジックと連携している[3]。 2016年には開発した「Xiborg Genesis」の販売を開始し、同年9月のリオデジャネイロパラリンピックでは佐藤圭太が使用[66]。2017年にロンドンで開催された世界パラ陸上競技選手権大会では、佐藤らの4×100mリレーは銅メダルを獲得[67][68]。ジャリッド・ウォーレスもXiborg製品を使用し、100mで銅メダル、200mで金メダルを取得した[68]。一方で遠藤は2017年にクラウドファンディングで約1750万円の資金を集め、同年12月に競技用義足を貸し出す「ギソクの図書館[注 3]」を設立した[7][8][69]。 さらに東京都立産業技術研究センターの「障害者スポーツ研究開発推進事業」で東レなどとも連携した共同研究に取り組み、2018年8月に「Xiborg ν」[注 5]の受注生産を開始[16]。Xiborgの所属義足ランナーの解析結果を基づくアスリート向けで、同年9月の日本パラ陸上競技選手権大会では佐藤圭太が優勝を果たしている(T-64クラスの100m、200m)[16][70]。同年11月には前年に引き続き、義足アスリートによる「渋谷シティゲーム」を開催した[71][72][59]。 一方、ロボット義足では独自のトルクセンサや小型能動膝継手を開発[73]。さらに2016年からSonyCSLとXiborgの共同プロジェクトとして「SHOEBILL」を開発を進める[74]。平成29年度には落合陽一が代表を務める科学技術振興機構(JST)のCREST「計算機によって多様性を実現する社会に向けた超AI基盤に基づく空間視聴触覚技術の社会実装」に参画[75]。2018年には「SHOEBILL - ototake model」[76]を乙武洋匡に装着してもらい、立位や歩行を実現させる「OTOTAKE PROJECT」[注 4]を開始した[12][13]。 2020年には東レ、トヨタなどの企業や地方自治体の支援を得て静岡県で「Blade for All」プロジェクトを立ち上げ、子供たちに競技用義足の無料貸し出しなどを行った[15]。2021年9月、「OTOTAKE PROJECT」の成果発表会を日本科学未来館で開催。乙武は50メートル以上の歩行を披露し、その後のシンポジウムではスロープや2.5cm程度の段差一段でも歩けていることが明かされた[77][78]。 経歴略歴
受賞歴
メディア出演
主な招待講演主な著作学位論文
著書
(序文執筆)
論文・解説
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
(関連組織・プロジェクト)
(出演動画)
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