西武所沢車両工場

西武所沢車両工場
西武所沢車両工場
(閉鎖後の全景・2007年5月)
基本情報
所在地 埼玉県所沢市東住吉
鉄道事業者 西武鉄道
最寄駅 所沢駅
管轄車両 西武鉄道が保有する全車両
開設 1947年(昭和22年)1月
廃止 2000年(平成12年)6月15日
車両基地概要
敷地面積 39,326 m2
年間製造能力 16両 / 年
年間検修能力 定期検査:350両 / 年
更新修繕:50両 / 年
備考 データは1991年9月30日当時[1]
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西武所沢車両工場(せいぶところざわしゃりょうこうじょう)は、1946年昭和21年)から2000年平成12年)まで存在した[2]、主に西武鉄道に在籍する鉄道車両の保守管理業務、および鉄道車両の製造業務を行っていた工場[1]

概要

池袋線新宿線所沢駅に隣接して立地する[1]。西武鉄道に在籍する鉄道車両の定期検査など通常の保守管理業務のほか、1954年(昭和29年)より鉄道車両の製造業務を開始[3]、西武鉄道のみならず中小私鉄を中心に日本国内の私鉄各社へ納入したほか、他の車両メーカーの下請けとして他社が受注した車両の製造業務を担当した[4][5]。また、西武鉄道において廃車となった鉄道車両はもちろんのこと、他事業者において廃車となった鉄道車両の譲渡に際しても積極的に関与し[6]、各種改造を実施した上で中小私鉄へ譲渡したことも特筆される[6]

当工場は鉄道車両関連事業以外にも、自動車整備業務・ダンプトラックなど特殊車両の製造業務、遊園地遊戯施設の製造業務、砂利採取機械の製造・整備業務などを幅広く手がけ[7]日野自動車製ダンプトラックのダンプ部分の装架や、系列会社である西武バスの車両整備なども担当した[7]

設立当初は西武鉄道の傘下企業の一つである復興社(現:西武建設)が運営する工場であったが[2]1973年(昭和48年)12月の組織改組に伴って西武鉄道の直営工場に変更された[2]。以降の当工場は、大手私鉄直営する日本国内唯一の鉄道車両の量産製造工場となり、鉄道車両製造専業メーカーと同等の技術力・生産能力を備える[8]、日本の電鉄業界においては極めて特異な存在の工場であった。

1969年(昭和44年)に西武初の特急形車両である5000系電車日立製作所に発注されるまで、西武鉄道が保有する鉄道車両は全車とも当工場で新製された[1]。また通勤形電車については1979年(昭和54年)に新101系電車東急車輛製造(現:事業は総合車両製作所に継承)に発注されるまでの期間、全ての車両が当工場で新製された[1]

1983年(昭和58年)以降は鉄道車両の製造業務を段階的に縮小した末、1999年(平成11年)3月をもって終了した[2]。定期検査業務についても翌2000年(平成12年)6月をもって終了し[2]、池袋線武蔵丘信号場付近に新設された武蔵丘車両検修場へ業務を引き継ぐ形で、同月15日に当工場は閉鎖となった[2]

歴史

入出場線から構内を見る
(1975年8月)
入出場線から構内を見る
(閉鎖後 2007年5月)

本節においては、主に鉄道車両製造事業者としての所沢車両工場について述べる。

黎明期

終戦後、西武グループの創始者・堤康次郎による「自らの力で電車を動かせる工場を作れ[9]」との指示の下、1946年(昭和21年)9月に復興社保谷車輌工場[9]、同年11月には復興社所沢車輌工場がそれぞれ発足した[9]。前者は電気関係の部品の補修を、後者は車両の補修をそれぞれ担当し[9]、所沢車輌工場は当初所沢駅の東側、後に所沢車両管理所の敷地となった場所に仮設の工場を新設し業務を開始した[9]

同時期には旧日本陸軍立川航空工廠所沢支廠跡の敷地払い下げを連合国軍 (GHQ) 側に働きかけ[10]、翌1947年(昭和22年)1月より建物・設備を借り受け、所沢車輌工場は正式に操業を開始した[10]。当初は戦中の酷使によって極度に疲弊した従来車の整備を主な業務としたが[10]、後に西武鉄道が車両不足対策として空襲によって被災焼失した日本国有鉄道(国鉄)の車両、いわゆる「戦災国電」を大量に購入して復旧の上で導入するに際して、当工場も復旧工事を担当し、1948年(昭和23年)4月に当工場が担当した復旧車両第一号が落成した[11][注釈 1]1950年(昭和25年)2月には保谷車輌工場を当工場へ統合[12]、鉄道車両の製造および保守管理業務は当工場へ一本化された。

その後は戦災国電の復旧工事のほか、1950年(昭和25年)以降は並行して木造国電の台枠のみを流用して車体を新製する業務を開始したが[13]、業務開始に際しては戦前の国鉄大井工場(現・東日本旅客鉄道東京総合車両センター)および大宮工場(現・同大宮総合車両センター)においてモハ50形・クハ65形電車の車体新製に関わった技術者を大量に雇い入れ[13]、技術習得に努めた。それらによって培われた技術力を元に、1954年(昭和29年)7月には完全新規設計による新型車両、501系電車(初代)モハ501・502およびサハ1501・1502の4両が落成した[3]。以降、西武鉄道に在籍する車両の新製は全て当工場によって行われたが[1]、1950年代から1960年代にかけて新製された西武鉄道向けの鉄道車両各形式については、前述した戦災国電復旧車両の導入と同時に大量に購入した国鉄制式の主要機器[注釈 2]が標準装備された点が特徴であった[14]。また1952年(昭和27年)7月より西武鉄道以外の鉄道車両の受注業務を開始[15]、木造車体の鋼体化改造車から台枠から新製した完全新製車の製造業務を始めとして、西武鉄道において廃車となった車両を地方私鉄へ譲渡するに際しての各種改造業務、および他事業者において廃車となった車両を購入し各種改造の上で地方私鉄へ転売する業務まで幅広く手がけ、各社へ納入した[6][15]。その間、1953年(昭和28年)12月には土地・建物および付帯する設備について正式に払い下げを受け、名実ともに所沢車両工場の所有物件とした[2]

ST式戸閉機構の開発

西武鉄道向けに1959年(昭和34年)に納入した451系電車より[16]、1基のドアエンジンで両開客用扉の開閉動作を行う戸閉装置を開発・搭載した[16]。従来の両開客用扉においては、左右の扉に1基ずつ計2基のドアエンジンを必要とし、開閉動作の同期など調整・保守管理上の欠点とされていたが[17]、所沢車両工場が開発した同戸閉装置においては、客用扉鴨居部に環状のゴムベルトを渡し、左右の扉の上部をベルトの上下にそれぞれ固定して連動させることによって[17]、1基のドアエンジンのみで開閉動作を可能としたものであった[17]。「ST式戸閉機構 (ST = Seibu Tokorozawa) 」と命名され[16][17]、翌1960年(昭和35年)に特許を取得した同戸閉装置は、西武鉄道の車両のみならず国鉄101系電車など、国鉄・私鉄を問わず両開客用扉を採用する鉄道車両に広く普及した[17]

社名変更

南側公道からの全景。新製中の101系、検査出場前の701系、三岐鉄道向け改造のために入場中の小田急2100系等が見える(1975年8月)

復興社は1961年(昭和36年)10月に西武建設株式会社へ社名を変更[18]、それに伴って当工場も西武建設所沢車輌工場と改称された[18]。同時期には旧日本陸軍施設の払い下げによる木造建物の鉄骨建造物への建て替えなど各種設備の近代化が進められ[18]、それに伴って鉄道車両の生産能力も向上し、最盛期の1965年(昭和40年)には年間製造数60両(月産平均5両)を記録した[6]。また1968年(昭和43年)7月には、汽車製造の下請け業務としてコンゴ共和国向けの客車8両を製造[5]、当工場においては最初で最後の輸出車両の製造を担当した[5]

1973年(昭和48年)12月に当工場は西武建設株式会社から西武鉄道株式会社へ移管されて西武鉄道の直営工場となり[19]西武鉄道所沢車輌工場(西武所沢車両工場)と改称された[19]。その後1979年(昭和54年)に新101系が東急車輛製造へ発注されて以降、西武鉄道においては同社と当工場へ新製車両を分散して発注する形態が取られたが[20]、同一形式であっても東急車輛製造製の車両と当工場製の車両では、主要寸法こそ同一ながらも、それぞれの設備の関係から構体設計および工作方法には差異が生じた[20]

工場閉鎖

1981年(昭和56年)より、所沢駅西口周辺の再開発計画の進展に伴って当工場の移転が検討され[21]、最終的に埼玉県日高市西台山(池袋線東飯能 - 高麗間・現在の武蔵丘信号場付近)への移転が決定した[21][22]。以降、再開発事業による周辺道路拡幅工事などによって工場敷地の縮小が段階的に進められ、1983年(昭和58年)には年間最大生産能力が16両に低下した[1][21]1989年(平成元年)には日高市台地区の住民との間に検修場(武蔵丘車両検修場)建設に関する協定を締結、翌1990年(平成2年)より造成工事が開始された[23]。その間、西武鉄道の新製車両は6000系電車以降において外部発注が主となり[8][23]、設備と人員の維持管理の観点から9000系電車(計80両)については当工場において新製することとなったものの[23]、同時に同系列の増備完了をもって車両新製業務を終了することも正式決定された[23]

1999年(平成11年)3月[24]に落成した9000系9108編成の中間車6両(サハ9408-モハ9508-モハ9608-サハ9708-モハ9808-モハ9908)の出場をもって車両新製業務を終了[23]、翌2000年(平成12年)6月1日に出場した新2000系電車2459編成の検査業務完了をもって、当工場における全ての業務が終了した[23]。同年6月15日付で当工場は閉鎖となり、鉄道車両の保守管理業務は武蔵丘車両検修場へ継承された[23]

閉鎖後

当工場跡地については、2008年(平成20年)10月に西武鉄道が実施した土壌調査によって、敷地の一部から土壌汚染対策法で定められた基準値の110倍のテトラクロロエチレンおよび基準値の3.5倍のが検出されるなど土壌汚染が明らかとなり[25]、また地元自治体である所沢市の財政事情などから跡地の再開発計画は進展せず、工場の建造物は閉鎖当時のまま現存していたが、2014年(平成26年)度に所沢市は土地区画整理事業の区域を決める都市計画決定を行い、早期の事業実現に向け、事業計画の検討や工事を進めている[26][27]

当工場跡地で開発が進められている商業施設の名称が「エミテラス所沢」に決定した[28]。2024年9月24日、エミテラス所沢がオープン[29]

年表

  • 1946年(昭和21年)11月 - 株式会社復興社所沢車輌工場発足。仮設工場にて操業開始。
  • 1947年(昭和22年)1月 - 旧日本陸軍立川航空工廠所沢支廠の土地・建物を借入、同地にて正式操業開始。
  • 1948年(昭和23年)3月 - 西武鉄道向けの戦災国電復旧工事を担当、第一号車落成。
  • 1949年(昭和24年)1月 - 日本工機株式会社を吸収合併。
  • 1949年(昭和24年)3月 - 株式会社三浦木工所を吸収合併。
  • 1950年(昭和25年)2月 - 保谷車輌工場を合併統合。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 鉄道車両の重要部検査ならびに全般検査業務開始。
  • 1952年(昭和27年)3月 - 近藤自動車株式会社を吸収合併。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 国鉄木造車払い下げ車の鋼体化改造車第一号車落成。
  • 1953年(昭和28年)12月 - 土地・建物および付帯する設備について正式に払い下げ。
  • 1954年(昭和29年)7月 - 当工場初の新規設計による完全新製車(初代501系電車)落成。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 朝日ヘリコプター株式会社の保守管理業務開始、所沢整備工場設置。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 建設機械の修繕業務開始。
  • 1959年(昭和34年)11月 - 451系電車においてST式戸閉機構を実用化。
  • 1961年(昭和36年)10月 - 株式会社復興社が西武建設株式会社と社名変更、西武建設所沢車輌工場となる。
  • 1966年(昭和41年)12月 - 自動車部門が民間車検指定整備工場となる。
  • 1968年(昭和43年)7月 - コンゴ共和国向け客車8両を汽車製造株式会社の下請けで新製、当工場において製造された唯一の輸出車両となる。
  • 1973年(昭和48年)12月 - 西武鉄道株式会社へ移管、西武鉄道所沢車輌工場となる。
  • 1977年(昭和52年)12月 - 朝日ヘリコプター株式会社移転。
  • 1981年(昭和56年) - 移転計画策定。埼玉県日高市西台山への移転が決定。
  • 1993年(平成5年)12月 - 当工場が設計・製造を担当した最後の新形式車両(9000系電車)の第一編成落成。
  • 1994年(平成6年)3月 - 自動車部門業務終了。
  • 1999年(平成11年)3月 - 9000系電車6両の落成をもって車両製造業務終了。
  • 2000年(平成12年)6月 - 全ての業務を終了。武蔵丘車両検修場西武車両)へ移転、閉鎖。
  • 2024年(令和6年)9月24日 - 跡地に「エミテラス所沢」がオープン。

製造車両

西武鉄道向け

車内銘板
流鉄2000形(元西武801系
車内銘板
(西武3000系
  形式 落成初年度 製造両数 備考
旅客用車両 クハ1111形電車 1953年 2両 クハ1114・1115(いずれも落成当時の車番)は新製名義で落成
501系電車(初代) 1954年 70両 後の351系電車(モハ501形初代・20両)を含む
クハ1411形電車 1955年 18両 他27両は戦災車復旧・木造車鋼体化名義で落成
401系電車(初代) 1956年 1両 国鉄モハ63形の模倣型。他3両は事故復旧名義で落成
451系電車 1958年 54両
551系電車 1961年 24両
601系電車 1963年 28両
701系電車 1964年 192両
411系電車 1964年 38両
801系電車 1968年 20両
101系電車 1969年 278両
5000系電車 1970年 24両 他12両は日立製作所製、初号車の落成年は1969年
2000系電車 1977年 130両
新101系・301系電車 1979年 100両 他56両は東急車輛製造製
3000系電車 1984年 48両 他24両は東急車輛製造製、初号車の落成年は1983年
新2000系電車 1988年 84両 他230両は東急車輛製造製
9000系電車 1993年 80両
山口線用車両 B11形蓄電池機関車 1957年 4両 他1両 (B11) は1951年中島自動車製
1形開放型客車 1950年 19両
21形密閉型客車 1964年 4両 他2両は1形客車からの改造車
電気機関車 E31形電気機関車(初代) 1955年 1両 他3両は1948年東京芝浦電気
E31形電気機関車(2代) 1986年 4両
内燃機関車 D1形ディーゼル機関車 1957年 1両
貨車 スム101形貨車 1957年 10両 スム151 - スム160
スム201形貨車 1960年 45両
スム301形貨車 1962年 30両
テキ401形貨車 1969年 6両 若松車輛の下請け製造 。三菱マテリアル所有の私有貨車
ワフ1形貨車 1967年 9両 ト1形からの改造車
ワフ101形貨車 1969年 7両 スム101形からの改造車
トム1501形貨車 1957年 10両 トム1611 - トム1620
トム2001形貨車 1961年 15両
チキ21形貨車 1969年 2両
ホキフ71形貨車 1968年 4両
ホキ81形貨車 1968年 10両
サ1形貨車 1957年 1両 移動変電車

他事業者向け

  形式・車両番号 落成初年度 製造両数 備考
越後交通 トム1000形無蓋貨車 1956年 16両
上毛電気鉄道 デハ170型電車 1959年 1両
デハ180型電車 1963年 1両
上信電鉄 200形電車 1969年 4両 2次車の新製を担当、1次車5両は東洋工機
伊豆箱根鉄道 1000系電車 1963年 12両 第1編成は車体の新製のみ担当、艤装は伊豆箱根鉄道大場工場にて施工
豊橋鉄道 デキ350形電気機関車 1955年 1両 東芝車輌の下請けで新製[注釈 3]
三岐鉄道 モハ150形電車150・151 1971年 2両 モハ151は当工場が新製した最後の他事業者向け鉄道車両
ED45形電気機関車 ED457 1973年 1両
川崎製鉄 3号・4号車 1970年 2両 水島製鉄所向け構内牽引車
東芝府中工場 5300105-1 1967年 1両 鉱山用6t特殊電気機関車
コンゴ共和国 44080 - 44084・44060 - 44062 1968年 8両 コンゴ国鉄向け客車、汽車製造の下請けで新製

改造を担当した車両

西武鉄道向け

主要な改造車両のみを記し、各形式内における改造(冷房化改造・更新修繕など)については割愛する。

  形式 改造初年度 改造内容 備考
旅客用車両 311系電車 1948年 戦災車復旧・木造車鋼体化
モハ101形・クハ1111形電車 1949年 木造車鋼体化 前述新製名義で落成した2両を除く全車が該当
クハ1411形電車 1950年 戦災車復旧・木造車鋼体化 同名義で落成した車両は全45両中27両
クハ1101形電車 1951年 内燃動車の電車化改造 多摩湖線用制御車
401系電車(初代) 1953年 国鉄モハ63形の事故廃車車両復旧 3両を導入、不足する1両は前述新製車を充当
クハ1121形電車 1958年 内燃動車の電車化・車体延長改造 多摩湖線用制御車
371系電車 1959年 導入に際しての各種整備 国鉄クモハ11形電車400番台の払い下げ車両
401系電車(2代) 1978年 411系(2代)をカルダン駆動化改造
571系電車 1978年 551系モハ571形・サハ1571形を先頭車化改造 竣功後独立形式化
新501系電車 1980年 701系クハ1701形を電動車化改造
山口線用車両 1形蒸気機関車 1970年 導入に際しての各種整備 頸城鉄道自動車より借入
2形蒸気機関車 1971年 井笠鉄道より借入
5形蒸気機関車(2代) 1977年 台湾台糖公司より譲渡
31形木造客車 1977年 井笠鉄道より譲渡

他事業者向け

譲渡車両については、当工場が西武鉄道の車両譲渡に関与した1957年(昭和32年)7月以降に譲渡された車両のみを示す[15][注釈 4]

西武鉄道からの譲渡車両

  形式・車両番号 譲渡初年 西武鉄道における最終形式 備考
津軽鉄道 ナハフ1200形客車 1965年 クハ1151形 譲渡に際して客車化改造
弘南鉄道 モハ2231形電車 1961年 モハ231形
クハ1266形電車 1964年 クハ1151形
モハ11形・クハ16形電車 1971年 311系
ED33形電気機関車 1961年 E11形電機
羽後交通 デハ6形電車 1958年 モハ101形 同社雄勝線に配属
デハ7形電車 1963年 クハ1121形 同社雄勝線に配属
栗原電鉄 M16形電車 1955年 モハ201形 木造車体。後述M18形の種車となる
M17形・C17形電車 1976年 371系
山形交通 モハ1形電車(モハ3) 1958年 モハ101形 同社高畠線に配属
ハフ3形客車 1958年 クハ1111形 譲渡に際して客車化改造、同社尾花沢線に配属
モハ111形電車 1958年 モハ221形・クハ1221形 同社三山線に配属
モハ105形・クハ11形電車 1964年 クハ1111形 同社三山線に配属
モハ1形電車(モハ4) 1965年 クハ1151形 同社高畠線に配属
総武流山電鉄 モハ1000形・クハ50形電車 1962年 クハ1211形
1200形・1300形電車 1978年 501系(初代)・551系・クハ1651形
2000形電車 1994年 701系・801系
3000形電車 1999年 101系
上信電鉄 100形電車 1978年 451系・クハ1651形
150形電車 1993年 401系(2代)・701系・801系
上毛電気鉄道 デハ230型・クハ30型電車 1977年 351系・クハ1411形
新潟交通 クハ39形電車 1962年 クハ1211形
蒲原鉄道 モハ61形電車 1958年 クハ1231形
モハ71形電車 1965年 クハ1211形
越後交通 ED310形電気機関車 1963年 E31形電機(初代)
ED260形電気機関車 1968年 E11形電機
松本電気鉄道 ED30形電気機関車 1960年 A1形電機
伊豆箱根鉄道 モハ151形・クハ181形電車 1968年 311系
大井川鉄道 モハ304・クハ504号電車 1961年 モハ231形 形式は「モハ300形・クハ500形」
モハ307・クハ507号電車 1964年 モハ151形・クハ1151形
モハ311・クハ511号電車 1976年 371系
モハ312・313・クハ512・513号電車 1977年 351系
サハ1411形電車 1980年 サハ1411形
豊橋鉄道 ク1500形電車 1959年 クハ1121形
モ1300形電車 1962年 モハ101形
モ1700形・ク1750形電車 1963年 モハ221形・クハ1221形
日本油脂 モ101形・ク101形電車 1961年 モハ101形・クハ1111形
東濃鉄道 モハ110形・クハ210形電車 1963年 モハ151形・クハ1151形
三岐鉄道 クハ200形電車 1957年 クハ1231形
501系電車 1977年 501系(初代)
601系電車 1982年 451系・571系
801系・851系電車 1989年 701系
101系電車 1990年 401系(2代)
一畑電気鉄道 クハ100形電車 1958年 クハ1231形
60系電車(初代) 1960年 モハ221形・クハ1221形
70系電車 1964年 クモハ301形
80系電車 1981年 451系
60系(2代)・90系電車 1985年 551系・クハ1651形
伊予鉄道 110系電車 1965年 モハ151形・クハ1151形

その他

  形式・車両番号 改造初年 改造内容 備考
弘前電気鉄道 モハ100形電車 (108) 1968年 京急400形電車(初代)の旧車体を流用[注釈 5] 新製名義で納入
羽後交通 ホハフ6形客車 1965年 東京都交通局都電1000形電車、客車化改造の上で納入 同社横荘線に配属
栗原電鉄 M18形電車 (M181) 1959年 前述M16形M161を鋼体化改造
C15形電車 1961年 木造車体の鋼体化改造
山形交通 モハ1形電車(モハ1) 1959年 更新修繕工事 同社高畠線に所属する従来車
モハ1形電車(モハ2) 1962年
ハフ4形客車 1965年 車体延長改造 同社尾花沢線に所属する従来車
ED2形電気機関車 1965年 近江鉄道より購入、整備を実施した上で山形交通へ転売 同社高畠線に配属
日立電鉄 モハ1000形電車 1963年 更新修繕工事
モハ1300形電車 1971年
モハ2230形電車 1972年
関東鉄道 キハ410形気動車 1972年 更新修繕・片運転台化・前面改造工事
キハ600形気動車 1972年 更新修繕・前面改造工事
キハ610形気動車 1973年 更新修繕・客用扉改造・片運転台化・前面改造工事
キハ755形気動車 1973年 南海電気鉄道キハ5501形気動車、4扉構造化改造の上で納入 事故廃車車両を西武建設が購入・転売
キクハ1形・キサハ65形気動車 1973年 小田急クハ1650形電車を気動車化改造 新製名義で納入
銚子電気鉄道 モハ500形電車 1971年 上田丸子電鉄モハ2320形電車、各種整備施工
モハ700形電車 1978年 近江鉄道モハ51形電車、各種整備施工
総武流山電鉄 モハ1100形電車 1968年 元京急400形(初代)の旧車体を流用[注釈 5] 新製名義で納入
上信電鉄 デハ20形電車 1960年 デハ22(デハ4の木造車体の鋼体化改造による)
クハ20形電車 1961年 クハ22(クハニ21の車体更新による)
デハ10形電車 1962年 デハ10の車体延伸改造
上毛電気鉄道 クハ60型電車 1958年 木造車体の鋼体化改造
クハ300型電車 1959年
デハ160型電車 1960年
クハ1060型電車 1961年
デハ800型電車 1962年
上武鉄道 ハフ3形客車 1961年 所沢車両工場の構内入換用内燃動車を客車化改造の上で譲渡 篠山鉄道レカ1形、新製名義で納入
DC101号ディーゼル機関車 1966年 建設省保有のNo.28-403、各種整備施工 新製名義で納入
DD104号ディーゼル機関車 1977年 大井川鉄道DD100形、各種整備施工
蒲原鉄道 クハ10形電車 1961年 車体修繕工事
モハ31形・41形電車 1962年 モハ41形は車体延伸改造も施工
伊豆箱根鉄道 ED11形電気機関車 1953年 4軸ボギー構造化・両運転台化改造 国鉄ED40形電気機関車
大井川鉄道 モハ303・クハ503号電車 1965年 事故復旧工事
東濃鉄道 DD105号ディーゼル機関車 1970年 元大井川鉄道DD100形、各種整備施工
三岐鉄道 モハ140形電車 1974年 元小田急1600形電車、各種整備施工 新製名義で納入
モハ150形電車155・156 1974年 相模鉄道クハ2500形電車、各種整備施工
モハ120形・クハ210形電車 1976年 元小田急2100形電車、各種整備施工
近江鉄道 モハ135形・クハ1210形電車 1966年 元京急400形(初代)の旧車体を転売[注釈 5] 改造は同社彦根工場において施工
モハ200形・クハ1200形電車 1970年 従来車の車体更新[注釈 6] クハ1200形は新製名義で納入
モハ203形電車203・204 1970年 従来車の車体更新[注釈 7]
伊予鉄道 120系電車 1968年 元京急400形(初代)の旧車体を流用[注釈 5] 新製名義で納入
サハ500形電車 1972年 東京急行電鉄サハ3350形電車を西武建設が購入・転売 新製名義で納入
130系電車 1972年 他社で廃車となった車両[注釈 8]を西武建設が購入、整備の上で譲渡

脚注

注釈

  1. ^ 西武鉄道側の記録では同月に所沢車両工場において落成した車両は存在しない。もっとも、同時期に導入された戦災国電復旧車両(モハ311形・クハ1311形)については資料によって落成年月および復旧担当工場が異なる例が多々生じている。
  2. ^ それらはTR10・TR11・TR14台車、MT4・MT7・MT10・MT15主電動機、CS1・CS3・CS5主制御器、MH16B-AK3電動空気圧縮機、MH77-DM43電動発電機など、戦前に設計・製造されたもので占められていた。これらが標準装備された車両を大量に導入した西武鉄道の車両は同時期に他事業者が導入した車両と比較して性能面で大きく見劣りし、趣味誌などにおいて「質より量」と揶揄されるまでに至った。
  3. ^ 西武1形電機として落成・入籍するも運用実績なく直ちに豊橋鉄道へ譲渡。
  4. ^ 1957年(昭和32年)7月以前に譲渡された車両については西武鉄道からの直接譲渡であり、当工場は関与していない。また1957年(昭和32年)7月以降から当工場が西武鉄道直営となった1973年(昭和48年)12月までに譲渡された車両については、正式には西武鉄道からの直接譲渡ではなく当工場から譲渡された扱いが取られている
  5. ^ a b c d 車体更新に伴い不要となった京急480形(400形初代)の旧車体を西武建設株式会社名義で購入、所沢車両工場で再生工事を実施し各社へ納入したものである。近江鉄道へ売却された4両分の車体については同社彦根工場において再生工事および各種改造が施工された。
  6. ^ 西武建設が購入した元小田急1600形の車体を流用し載せ替え。
  7. ^ 西武建設が購入した元小田急1600形および京王デハ1700形電車の車体を流用し載せ替え。
  8. ^ 京王1400形電車1800形電車および元相鉄2000系電車。

出典

  1. ^ a b c d e f g 「所沢車両工場の概要」 (1992) p.48
  2. ^ a b c d e f g 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.29
  3. ^ a b 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) p.21
  4. ^ 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.28 - 29
  5. ^ a b c 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) pp.14 - 15
  6. ^ a b c d 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.10
  7. ^ a b 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.40 - 41
  8. ^ a b 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) pp.2 - 3
  9. ^ a b c d e 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.7 - 8
  10. ^ a b c 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.8 - 9
  11. ^ 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) p.11
  12. ^ 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) p.12
  13. ^ a b 「50年前の電車 (VII)」 (1977) p.24
  14. ^ 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.78
  15. ^ a b c 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) p.19
  16. ^ a b c 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) pp.250 - 251
  17. ^ a b c d e 『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.38 - 39
  18. ^ a b c 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.4
  19. ^ a b 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.23
  20. ^ a b 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) pp.23 - 25
  21. ^ a b c 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.25
  22. ^ 「所沢車両工場の概要」 (1992) p.50
  23. ^ a b c d e f g 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.28
  24. ^ 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) pp.46 - 47
  25. ^ 所沢車両工場跡地における土壌調査結果について” (PDF). 西武鉄道 (2008年11月12日). 2012年7月26日閲覧。
  26. ^ 所沢駅西口地区の街づくり”. 所沢市. 2020年9月7日閲覧。
  27. ^ 事業目的及び事業概要”. 所沢市. 2020年9月7日閲覧。
  28. ^ “所沢駅西口・西武鉄道車両工場跡地に大型商業「エミテラス所沢」全142店舗”. Impress Waech. (2024年4月19日). https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1585687.html 
  29. ^ “所沢駅西口に「エミテラス」142店舗、24日開業”. 朝日新聞. (2024年9月20日). https://www.asahi.com/articles/ASS9M3R4PS9MUTNB009M.html 

参考文献

  • 『鉄道史料 第7号』 鉄道史資料保存会 1977年7月
    • 奥野利夫 「50年前の電車 (VII)」 pp.23 - 38
  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 1970年1月(通巻233)号 pp.77 - 87
    • 御菩薩池秀次 「所沢車両工場の概要」 1992年5月(通巻560)号 pp.48 - 50
    • 小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 1992年5月(通巻560)号 pp.250 - 270
  • RM LIBRARY』 ネコ・パブリッシング
    • 西尾恵介 『30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 2002年1月 ISBN 4-87366-263-X
    • 西尾恵介 『31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 2002年2月 ISBN 4-87366-266-4

関連項目