菅沼定庸

 
菅沼 定庸
時代 江戸時代中期
生誕 元文2年(1737年
死没 明和8年12月20日1772年1月24日
改名 定庸→恵照(法名)
別名 藤次郎、新八郎、織部
戒名 圓明院殿寂然恵照大居士[1]
幕府 江戸幕府交代寄合
主君 徳川吉宗家重家治
三河新城領
氏族 菅沼氏
父母 父:菅沼定用
兄弟 酒井忠順室、本堂親房室(松平忠名養女)、定庸奥田高甫室、定冬菅沼定寛室、定候戸田光稟室、伊東祐程室、女子
牧野貞通の娘
酒井忠幸室、女子、女子、定前土屋正備室、女子、柴田勝延室、菅沼勝美養女
テンプレートを表示

菅沼 定庸(すがぬま さだつね)は、江戸時代中期の交代寄合三河国新城領4代領主。

経歴

菅沼定用の子として生まれ、明和5年(1768年)6月3日に遺跡を継いだ。明和8年(1771年)12月20日、35歳で死去。

系譜

脚注

  1. ^ 『南設楽郡誌』名著出版、1972年、附録34頁。

参考文献

 

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia