菅沼定用
菅沼 定用(すがぬま さだもち)は、江戸時代中期の交代寄合。三河国新城領3代領主。 経歴菅沼定易の子として生まれ、元文元年(1736年)4月27日に家督を継ぐ。元文2年(1737年)11月21日に大番頭となり、12月16日に従五位下織部正に叙任される。延享3年(1746年)3月1日に伏見奉行となり、宝暦元年(1751年)10月15日に側衆となる。宝暦10年(1760年)4月1日より二ノ丸に勤め、宝暦11年(1761年)将軍徳川家重の死去により役を解かれる。宝暦12年(1762年)11月1日、再び側衆となり、徳川家基の附属となった。明和2年(1765年)11月15日に駿府城代となり、明和5年(1768年)2月21日、駿府において68歳で死去。 系譜
参考文献
|