羽咋郡(はくいぐん)は、石川県(能登国)の郡。
人口27,732人、面積358.27km²、人口密度77.4人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。
- 羽咋市の大部分(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町を除く)
- 七尾市の一部(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬)
- かほく市の一部(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部)
- 河北郡津幡町の一部(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田)
歴史
元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。
当初は羽喰郡とも呼ばれていたが、寛文11年(1671年)5月4日に現在の羽咋郡に改名された[1]。
近世以降の沿革
明治初年の1町232村
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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13村
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鵜野屋村、灯村、入釜村、地保村、切留村、尊保村、阿川村、楚和村、豊後名村、福水村、神子原村、敷浪村、松木村
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幕府領・旗本領
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1村
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四町村
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藩領
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加賀藩
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1町 216村
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石坂村、荻谷村、散田村、海老坂村、敷波村、下石村、所司原村、新宮村、当ノ熊村、向瀬村、走入村、見砂村、菅原村、吉野屋村、聖川村、荻島村、荻市村、柳瀬村、《柳瀬出村》、子浦村[4]、大笹村、小浦村、直海村、栗山村、吉田村(現・志賀町)、清水今江村、館開村、火打谷村、代田村、矢蔵谷村、谷屋村、百浦村、大津村、赤住村、《松戸村、江野村》、小室村(現・志賀町小室)、徳田村、印内村、米町村、矢田村、梨谷小山村、神代村、堀松村、柳田村、一ノ宮村、一ノ宮寺家村、土橋村、粟原村、立開村、粟生村、新保村、石野町村、二口村、深江村、円井村、兵庫村、滝村、羽咋村、吉崎村、塵浜村、西谷内村、今田村、藤瀬村、田中村、《江添村》、免田村(現・七尾市)、《上畠村》、生神村、大平村、鳥越村、《古江村》、風無村、福浦村、草木村、《日下田村》、荒屋村、中山村、八幡村、《飯室村、八幡座主村》、里本江村、牛下村、田原村、《長田村》、釈迦堂村、谷神村、三明村、《中畠村》、町居村、深谷村、栢木村、《大鳥居村》、和田村、大西村、《広地村》、笹波村、小室村(現・志賀町東小室)、高田村、千浦村、給分村、《相坂村、中泉村》、稲敷村、《草江村》、河内村、貝田村、七海村、《領家七海村》、大福寺村、相神村、町屋村、酒見村、風戸村、赤崎村、中浜村、鹿頭村、《小窪村》、地頭町[5]、領家町村、日用村、杉野屋村、千代町村、垣内田村、《上江村》、千田村、尾長村、志々見村、本江村、飯山村、《薮野村》、千石村、清水原村、菅池村、中川村、柴垣村、《滝谷村》、雨田村[6]、犱谷村、福野村、大島村、長沢村、大念寺村、《大念寺新村》、川尻村、上野村、末吉村、倉垣村、矢駄村、《西山村》、大坂村、穴口村、《米浜村》、館村、福井村、宿村、今浜村、《今浜新村》、二ツ屋村、平床村、夏栗村、吉田村(現・宝達志水町)、小川村、麦生村、大海川尻村、冬野村、北川尻村、米出村、森本村、門前村、河原村、中沼村、竹生野村、免田村(現・宝達志水町)、瀬戸町村、沢川村、牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、箕打村、黒川村、八野村、野寺村、東間村、紺屋町村、正友村、《東野村》、坪山村、御館村、《中野村、三日町村》、山崎村、《宝達村》、上田村、上田出村、元女村、大田村、上棚村、中山村、二所宮村、町村、針山村、原村、千路村、安津見村、《安津見村》、仏木村、安部屋村、三ツ屋村[7]、上白瀬村[8]、堀替新村[9]、菱分村[9]、市野谷村[10]、前浜村[11]
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幕府領・藩領
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幕府領・加賀藩
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1村
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白瀬村
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旗本領・加賀藩
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1村
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太田村
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町村制以降の沿革
町村制施行時の2町38村
- 羽咋町(単独町制。現・羽咋市)
- 高浜町 ← 高浜町、大念寺村(現・志賀町)
- 南大海村 ← 箕打村、元女村、黒川村、瀬戸町村、八野村、野寺村、夏栗村、二ツ屋村、中沼村(現・かほく市)
- 北大海村 ← 森本村、免田村、大海川尻村、坪山村、北川尻村、冬野村、正友村、東間村、紺屋町村、東野村(現・宝達志水町)
- 河合谷村 ← 牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、大田村(現・河北郡津幡町)
- 北荘村 ← 沢川村、宝達村、山崎村、河原村、小川村(現・宝達志水町)
- 中荘村 ← 御館村、中野村、三日町村、上田村、上田出村、門前村(現・宝達志水町)
- 末森村 ← 麦生村、今浜村、今浜新村、米出村(現・宝達志水町)
- 柏崎村 ← 南吉田村、竹生野村、宿村、敷波村、敷浪村(現・宝達志水町)
- 粟ノ保村 ← 土橋村、立開村、粟原村、兵庫村、粟生村、新保村(現・羽咋市)
- 樋川村 ← 荻市村、荻谷村、荻島村、柳瀬村、柳瀬出村(現・宝達志水町)
- 志雄村 ← 子浦村、吉野屋村(現・宝達志水町)
- 南志雄村 ← 聖川村、新宮村、針山村、平床村、散田村、原村、海老坂村、下石村(現・宝達志水町)
- 北志雄村 ← 石坂村、向瀬村、所司原村、見砂村、清水原村、走入村(現・宝達志水町)
- 富永村 ← 東太田村、西太田村、三ツ屋村、石野町村、深江村、吉崎村(現・羽咋市)
- 南邑知村 ← 杉野屋村、菅原村、二口村(現・宝達志水町)
- 北邑知村 ← 飯山村、上白瀬村、白瀬村、藪野村、福水村、千石村、菅池村、神子原村(現・羽咋市)
- 中邑知村 ← 中川村、垣内田村、上江村、千田村、円井村、四町村、千代町村(現・羽咋市)
- 若部村 ← 尾長村、堀替新村、菱分村、本江村、志々見村(現・羽咋市)
- 一ノ宮村 ← 一ノ宮村、一ノ宮寺家村、滝村(現・羽咋市)
- 越路野村 ← 柳田村、千路村(現・羽咋市)
- 上甘田村 ← 柴垣村、滝谷村、犱谷村(現・羽咋市)
- 中甘田村 ← 宿女村、福野村、大島村、長沢村、坪野村、岩田村(現・志賀町)
- 下甘田村 ← 上中山村(現・羽咋市)、上棚村、二所宮村、館村、福井村、大坂村、穴口村、米浜村(現・志賀町)
- 志加浦村 ← 川尻村、町村、安部屋村、上野村、大津村、小浦村、百浦村、松戸村、江野村、赤住村(現・志賀町)
- 堀松村 ← 末吉村、堀松村、西山村、北吉田村、清水今江村、梨谷小山村、神代村、矢蔵谷村(現・志賀町)
- 加茂村 ← 矢駄村、安津見新村、倉垣村、安津見村(現・志賀町)
- 東土田村 ← 火打谷村、徳田村、館開村(現・志賀町)
- 西土田村 ← 矢田村、代田村、印内村、栗山村、谷屋村、仏木村、市野谷村(現・志賀町)
- 上熊野村 ← 米町村、小室村、松木村、田原村、直海村、釈迦堂村、長田村、大笹村(現・志賀町)
- 熊野村 ← 中山村、日下田村、町居村、豊後名村、三明村、中畠村、谷神村、草木村、荒屋村、日用村(現・志賀町)
- 富来村 ← 牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高田村(現・志賀町)
- 稗造村 ← 東小室村、大西村、江添村、広地村、今田村、和田村、貝田村、尊保村、楚和村、阿川村、入釜村、灯村、鵜野屋村、地保村、切留村、田中村(現・志賀町)
- 釶打村 ← 大平村、古江村、上畠村、河内村、鳥越村、北免田村、西谷内村、町屋村、藤瀬村(現・七尾市)
- 東増穂村 ← 大鳥居村、相坂村、草江村、中泉村、給分村、里本江村、八幡村、飯室村、八幡座主村、相神村、中浜村(現・志賀町)
- 西増穂村 ← 大福寺村、酒見村、稲敷村、栢木村(現・志賀町)
- 西海村 ← 風戸村、風無村、千浦村(現・志賀町)
- 西浦村 ← 赤崎村、鹿頭村、笹波村、小窪村、前浜村、深谷村(現・志賀町)
- 塵浜村(単独村制。現・羽咋市)
- 福浦村(単独村制。現・志賀町)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正8年(1919年)9月1日 - 富来村が町制施行して富来町となる。(3町37村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)9月1日 - 塵浜村が改称して千里浜村となる。
- 昭和8年(1933年)
- 5月1日 - 樋川村・志雄村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が合併し、改めて志雄村が発足。(3町33村)
- 5月15日 - 北邑知村・中邑知村・若部村が合併して邑知村が発足。(3町31村)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は489.07平方km、人口は67,877人(男32,403人・女35,474人)[13]。
- 昭和11年(1936年)2月1日 - 志雄村が町制施行して志雄町となる。(4町30村)
- 昭和15年(1940年)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 釶打村の所属郡が鹿島郡に変更。(5町27村)
- 昭和29年(1954年)
- 5月16日 - 河合谷村が河北郡津幡町に編入。(5町26村)
- 7月15日 - 南大海村が河北郡高松町と合併し、改めて河北郡高松町が発足。(5町25村)
- 10月1日 - 志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併して志賀町が発足。(6町20村)
- 11月3日(7町2村)
- 羽咋町・富永村・粟ノ保村・一ノ宮村・越路野村・上甘田村・千里浜村および下甘田村の一部(上中山)が合併し、改めて羽咋町が発足。
- 富来町・熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が合併し、改めて富来町が発足。
- 柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が合併して押水町が発足。
- 昭和30年(1955年)
- 4月1日 - 下甘田村が志賀町に編入。(7町1村)
- 4月28日 - 高浜町・中甘田村が合併し、改めて高浜町が発足。(7町)
- 10月1日 - 押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 羽咋町・邑知町が鹿島郡余喜村・鹿島路村と合併し、改めて羽咋町が発足。(6町)
- 昭和33年(1958年)7月1日 - 羽咋町が市制施行して羽咋市が発足し、郡より離脱。(5町)
- 昭和45年(1970年)11月1日 - 高浜町・志賀町が合併し、改めて志賀町が発足。(4町)
- 平成17年(2005年)
- 3月1日 - 押水町・志雄町が合併して宝達志水町が発足。(3町)
- 9月1日 - 志賀町・富来町が合併し、改めて志賀町が発足。(2町)
変遷表
行政
歴代郡長
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
前職 |
後職
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1 |
平寿盛 |
1878年(明治11年)12月17日[14] |
1880年(明治13年)6月12日[14] |
石川県第八大区長 |
依願免本官
|
2 |
野村彦四郎 |
1880年(明治13年)6月12日[14] |
1881年(明治14年)4月6日[14] |
石川県四等属 |
京都府一等属
|
3 |
宇野順美 |
1881年(明治14年)4月29日[14] |
1881年(明治14年)11月2日[14] |
石川県六等属 |
死去
|
4 |
大橋永孚 |
1881年(明治14年)11月14日[14] |
1887年(明治20年)9月11日[14] |
石川県四等属 |
死去
|
5 |
河瀬貫一郎 |
1887年(明治20年)9月28日[14] |
1890年(明治23年)6月16日[14] |
石川県会議員 |
依願免本官
|
6 |
小川清太 |
1890年(明治23年)7月23日[14] |
1890年(明治23年)12月27日[14] |
河北郡長 |
鹿島郡長
|
7 |
大野木克俊 |
1890年(明治23年)12月27日[14] |
1891年(明治24年)10月16日[14] |
鹿島郡長 |
鹿島郡長
|
8 |
安達正輝 |
1891年(明治24年)10月16日[14] |
1895年(明治28年)2月17日[14] |
石川県属 |
死去
|
9 |
大森孝次郎 |
1895年(明治28年)3月13日[14] |
1897年(明治30年)5月10日[14] |
石川県属 |
非職
|
10 |
松島喜五郎 |
1897年(明治30年)5月10日[14] |
1903年(明治36年)3月31日[14] |
石川県警部 |
江沼郡長
|
11 |
栗山富栄 |
1903年(明治36年)3月31日[14] |
1904年(明治37年)7月26日[14] |
石川県属 |
鳳至郡長
|
12 |
大津辰三郎 |
1904年(明治37年)7月26日[14] |
1906年(明治39年)3月24日[14] |
珠洲郡長 |
死去
|
13 |
土田伊蔵 |
1906年(明治39年)4月13日[14] |
1907年(明治40年)4月12日[14] |
石川県警視 |
江沼郡長
|
14 |
山口信定 |
1907年(明治40年)4月12日[14] |
1914年(大正3年)3月9日[14] |
能美郡書記 |
江沼郡長
|
15 |
吉田直矩 |
1914年(大正3年)3月9日[15] |
1914年(大正3年)8月21日[16] |
江沼郡長 |
依願免本官
|
16 |
松本源祐 |
1914年(大正3年)8月21日[16] |
1919年(大正8年)3月31日[17] |
河北郡書記 |
鳳至郡長
|
17 |
水原信一 |
1919年(大正8年)3月31日[17] |
1921年(大正10年)7月22日[18] |
河北郡書記 |
石川県理事官
|
18 |
山上岩雄 |
1921年(大正10年)9月1日[19] |
1923年(大正12年)12月27日[20] |
石川県警視 |
休職
|
19 |
林登亀雄 |
1923年(大正12年)12月27日[21] |
1924年(大正13年)9月2日[22] |
石川県属 |
依願免本官
|
20 |
京念洋 |
1924年(大正13年)9月2日[22] |
1926年(大正15年)7月1日[23] |
石川県属 |
廃官
|
脚注
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)531頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《兵庫村/立開村/土橋村/粟生村/粟原村/新保村/二口村/柳瀬村/羽咋村》請新田、《稲敷村/相神村/八幡村/中浜村/給分村》請新田、《紺屋町村/冬野村/東間村/御館村/正友村/北川尻村/坪山村》請新田、《森本村/中沼村/免田村/八野村/二屋村/野寺村》請新田、《東間村/坪山村/紺屋町村/冬野村/正友村/北川尼村》請新田が記載されている。
- ^ 記載は志雄町。
- ^ 記載は富木村。
- ^ 犱谷村・宿女村・坪野村・岩田村の総称だが、犱谷村は別掲。本項では3村として数える。
- ^ 太田村のうちに含まれると見られる。
- ^ 白瀬村のうちに含まれると見られる。
- ^ a b 尾長村・志々見村・本江村のうちに含まれると見られる。
- ^ 仏木村・米町村・小室村のうちに含まれると見られる。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 石川県史 第四編 173-174頁
- ^ 『官報』第482号「叙任及辞令」1914年3月10日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
- ^ 『官報』第2692号「叙任及辞令」1921年7月23日。
- ^ 『官報』第2727号「叙任及辞令」1921年9月2日。
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ 『官報』第4171号「彙報」1926年7月19日。
参考文献
外部リンク