第百五十四号哨戒特務艇[注釈 3](だいひゃくごじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の61番艇[注釈 4]。太平洋戦争後に掃海艦として就役したが、掃海作業中に触雷し沈没した。
艇歴
マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の154番艇、仮称艦名第2274号艦として計画。1944年11月5日、第百五十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の58番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年5月15日、有限会社福島造船鉄工所で進水。6月20日、船体概成により福島造船鉄工所から呉海軍工廠へ引き渡されたとされる[注釈 1]。
終戦時未成。8月17日、工事中止が発令される。本艇は後述するとおり復員庁の掃海艦となったが、工事を再開した建造所と竣工年月日は、いずれも不明。
1946年12月15日、復員庁第二復員局呉地方復員局所管の掃海艦に定められ[注釈 5]、艦名を哨特第百五十四号とし、下関掃海部所属と定められる。
1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-27となる。8月20日、船名を哨特第一五四号 MS-27に改められる。1949年5月23日、関門海峡東口の満珠島南東で掃海作業中に触雷し沈没し、4名が殉職した。9月27日、哨特第一五四号は解役された。
脚注
- 注釈
- ^ a b 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114の記述による。福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66では所在地が「福島(松江)」とあり、呉とはしていない。
- ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66による。ただし、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
- ^ 本来の艇名表記は第百五十四號哨戒特務艇(1946年12月25日以降は哨特第百五十四號)。
- ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は58番艇、これら3隻を含めると通算で61番艇となる。
- ^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114、『海上保安庁全船艇史』p. 66では、いずれも「(昭和20年)12月1日掃海艦に指定」とあるが、そのような事実は無い。昭和20年第二復員省内令第5号および同第7号中に本艇の艇名は存在しない。
- 脚注
参考文献
- 海軍省、復員庁、運輸省
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和21年12月25日付 復二第494号、復二第495号。
- 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
- 『航路啓開史』、海上自衛隊、2012年 [1]
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。