田口村 (長野県)
田口村(たぐちむら)は、長野県南佐久郡にあった村。昭和の大合併により消滅した。現在の佐久市南東部、小海線臼田駅・龍岡城駅の東側一帯にあたる。 地理
歴史元治元年(1864年)には、領主である奥殿藩藩主松平乗謨(のりかた)により、田野口村に龍岡城が建設された。龍岡城は日本に二つしかない五芒星形の西洋式城郭(もう一つは函館の五稜郭)として知られる。奥殿藩松平家は龍岡城に藩庁を移転し、以後は田野口藩(のち龍岡藩)と呼ばれる。明治初年の領地を記録した「旧高旧領取調帳」によれば、のちの田口村域には田野口藩領のほか幕府領があった。明治4年(1871年)、龍岡藩は廃藩となる。 1876年(明治9年)、田野口村と上中込村が合併して田口村となる。1889年(明治22年)、町村制による田口村が発足。 1915年(大正4年)12月、佐久鉄道(現在の小海線)の中込駅 - 羽黒下駅間が開業、小諸と鉄道で結ばれた。開通と同時に、下越地区に三反田駅(現在の臼田駅)、田口地区に大奈良停留場(現在の龍岡城駅)が置かれた。なお、佐久鉄道は1919年(大正8年)に小海まで全通、1934年(昭和9年)に国有化され、国鉄の小海線となる。 1956年(昭和31年)9月、南に隣接する青沼村と合併して田口青沼村となり、自治体としては消滅した。なお、田口青沼村も約半年後に臼田町と合併し消滅している。 行政区画・自治体沿革
経済
『大日本篤農家名鑑』によれば田口村の篤農家は、「佐々木常助、依田清勝、堀籠鹿之助、柳澤安次郎、柳澤伴次郎、瀬下熊之助、大塚文平、宮澤啓之助、高橋周助、高橋大吉、加藤多忠」などである[2]。 交通鉄道路線脚注
参考文献
関連項目 |