渡辺兼二
渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日〈慶応元年12月26日[1]〉 - 1928年〈昭和3年〉12月9日[2])は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。新潟市長。 経歴越後国蒲原郡一ノ木戸村(現新潟県三条市)で渡辺正友の二男として生まれる[3][4]。1885年12月、陸軍教導団砲兵科に入団[1]。1890年7月26日、陸軍士官学校(1期)を卒業、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を工兵科1番/8名で卒業している。1891年3月26日、陸軍工兵少尉に任官し工兵第1大隊附となる[1]。 日清戦争に工兵第1大隊第2中隊小隊長として出征[1]。1895年11月、陸軍砲工学校(3期)を優等で卒業[5]。 陸軍大学校(13期)で学び、1899年12月21日に優等で卒業した[6]。日露戦争に臨時軍用鉄道監部部員として出征[1]。 以後、韓国駐箚軍参謀、近衛工兵大隊付、工兵第17大隊長、鉄道連隊長、兼陸軍技術審査部御用掛、兼陸軍技術審査部議員、陸軍技術審査部審査官などを歴任[1][7]。1915年8月10日に待命となり、同年10月15日、陸軍少将に昇進と同時に予備役編入となった[1][7]。その後、千葉県千葉郡千葉町(現千葉市)に居住し青年の指導に当った[3]。 1919年9月22日、新潟市長に就任し、1921年9月10日に市長を退任した[3]。 栄典親族脚注参考文献 |