石井耕一石井 耕一(いしい こういち、1913年(大正2年)7月30日[1][2][3] - 2012年(平成24年)2月24日[4])は、昭和時代の政治家。大日本帝国陸軍軍人。新潟県豊栄市長。 経歴新潟県出身[2]。1929年(昭和4年)3月、町立葛塚実践農商学校農業科を卒業[3]。陸軍に入隊後、1936年(昭和11年)2月、葛塚町役場の臨時雇に転じる[3]。4月に職員となり、1943年(昭和18年)から総務課長を4年[3]、1947年(昭和22年)同町助役、市制施行後は1970年(昭和45年)豊栄市助役、1971年(昭和46年)同市長に当選し4期務めた[2]。1987年(昭和62年)引退した[2]。 太平洋戦争下では職員在職中赤紙召集を3回受け、野戦高射砲第80大隊第3中隊の准尉で沖縄戦に参加した[3]。ほか、全国新市連絡協議会副会長、新潟県公民館連合会長、社団法人全国公民館連合会副会長、財団法人日本青年協会理事兼新潟県支部長、財団法人修養団新潟県連合会長、社会福祉法人新潟県共同募金会副会長、新潟県沖縄戦遺族と戦友の会会長などを歴任した[3]。 栄典
著作
脚注参考文献
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