池田定得
池田 定得(いけだ さだのり)は、江戸時代中期の大名。因幡国鳥取西館新田藩(若桜藩)4代藩主。官位は従五位下大隅守。 略歴3代藩主・池田定就の長男として誕生。幼名は和三郎。 明和5年(1768年)4月13日、父・定就の隠居により跡を継いだが、安永2年(1773年)7月9日に実子のないまま病死した。遺言によって旗本・池田政勝の次男・池田定常(冠山)が跡を継いだ。法号は瑞泰院殿善倫為宝大居士。墓所は鳥取県岩美郡国府町奥谷(現・鳥取市)の池田家墓所。 系譜 |
池田定得
池田 定得(いけだ さだのり)は、江戸時代中期の大名。因幡国鳥取西館新田藩(若桜藩)4代藩主。官位は従五位下大隅守。 略歴3代藩主・池田定就の長男として誕生。幼名は和三郎。 明和5年(1768年)4月13日、父・定就の隠居により跡を継いだが、安永2年(1773年)7月9日に実子のないまま病死した。遺言によって旗本・池田政勝の次男・池田定常(冠山)が跡を継いだ。法号は瑞泰院殿善倫為宝大居士。墓所は鳥取県岩美郡国府町奥谷(現・鳥取市)の池田家墓所。 系譜 |