森の石松森の石松(もりのいしまつ、生年不詳 - 1860年7月18日(万延元年6月1日))は、清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。出身地は三州半原村(後の愛知県新城市富岡)とも遠州森町村(後の静岡県周智郡森町)とも伝えられるが定かでない。浪曲では「福田屋という宿屋の倅」ということになっている。森の石松の「森」とは森町村のことである。半原村説では、半原村で生まれたのち、父親に付いて移り住んだ森町村で育ったという。 なお、現在語り継がれている石松は、清水次郎長の養子になった天田五郎の聞き書きによって出版された『東海遊侠伝』によるところが大きく(つまりお手盛りの伝記[1])、そこに書かれて有名になった隻眼のイメージは、同じく清水一家の子分で隻眼の豚松と混同していた、または豚松のことを石松だと思って書かれたともいわれており、石松の人物像はおろか、その存在すら信憑性が疑われている。しかし、「遠州っ子」(1980年、ひくまの出版・刊)の森の石松にまつわる記事には、出所後の晩年を興行主として相撲や芝居などの開催を仕切っていた清水次郎長と会ったことのあるという人が、次郎長が森の石松のことを聞かれて涙したと語っていたことなどの記述があるため、森の石松が実在の人物なのか、それとも空想上の人物なのか、ますますわからなくなっている。 略歴孤児となった石松は侠客の森の五郎に拾われて育てられた。侠客同士の喧嘩から上州(のちの群馬県)で人を斬り、次郎長にかくまわれて、その子分となった。 病で妻に先立たれたばかりの次郎長とともに宿敵を討ち果たし、親分の御礼参りの代参で金毘羅大権現 松尾寺へ出かけた帰路、方々から預かっていた次郎長への香典を狙った侠客の都田の吉兵衛(都田はのちの静岡県浜松市北区都田。講談や浪花節では「都鳥」とされる)に、遠州中郡(のちの静岡県浜松市浜北区小松と思われる)にてだまし討ちに遭い、斬られて死亡した。吉兵衛は翌1861年(万延2年)、次郎長によって討ち果たされる。 上述の『東海遊侠伝』により逸話が伝わり、酒飲みの荒くれだが義理人情に厚く、どこか間が抜けている、といった愛すべきキャラクターとして講談や浪曲(浪花節)に数多く登場する(後述[2])。 史料石松のことを伝える史料の代表格は、一時期次郎長の養子であった天田五郎(ペンネーム:山本鐵眉。後に出家し天田愚庵と号した)が1884年(明治17年)に出版した『東海遊侠伝』であり、以降の中島儀市『明治水滸伝清水次郎長の伝』(1886年(明治19年)出版)や村松梢風(森町出身)が1920年(大正9年)頃 雑誌『騒人』に連載した「正伝清水次郎長」をはじめとする伝記の殆どのルーツと言ってよい。 講談や浪花節一方、講談や浪花節に描かれる石松や次郎長は、彼らの仲間であり後に旅講釈師となった清竜が講談師の三代目神田伯山に金銭と引き換えにネタとして提供したものが元であり、さらに浪曲師の二代目広沢虎造が、次郎長伯山こと3代目神田伯山の弟子、神田ろ山の協力を得て、伯山の講談をフシ付けし、浪花節とした[3]。 虎造の十八番の一つ「石松三十石舟」の中で石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。後世、1980年代にシブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」(作詞:S.I.S、岡田冨美子、作曲:後藤次利)はこの曲からヒントを得たとも言われるが、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」である。 なお、神田伯山の元ネタには、石松が大阪の本町橋付近の八軒店(はっけんだな)で押し寿司を買う件があるため、伏見に行く舟の中で神田生まれの江戸っ子に食べるよう勧めた寿司は大阪の押し寿司であり、江戸前寿司ではない。 墓墓は静岡県周智郡森町にある大洞院[4](曹洞宗)のものが有名だが、他にも墓とされるものは複数あり、どれが正墓が定かではない。 大洞院のものは やくざであるという理由から寺の敷地内ではなく、門前に建てられている。この墓は1935年に地元有志の手で建立されたが、石松の墓石の欠片を持っていると商売繁盛やギャンブルに強くなるという俗信があり削られ続けた。1977年には、硬い根府川石を使用した2代目の墓石が再建されたが、翌年には上部3分の1が削り去られるという形で破壊されて[5]再再建されている。現在建っている物はアフリカ産の極めて硬い石材を使用している。盗まれた墓石が天竜川の河原で発見され大騒ぎになったというエピソードも残っている。 題材となった作品映画
テレビドラマ
小説舞台
アニメ
パチスロ楽曲
脚注関連項目外部リンク |
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