栃木県立宇都宮女子高等学校(とちぎけんりつうつのみやじょしこうとうがっこう, Tochigi Prefectural Utsunomiya Joshi High School)は、栃木県宇都宮市操町にある高等学校。略称は「宇女高(うじょこう)」。
概要
- 歴史
- 1875年(明治8年)に「栃木女学校」として創立。公立女子高としては日本で最古の歴史をもつ[1]。女子中学校、中学校女子部、高等女学校を経て、1948年(昭和23年)に女子高等学校となり、現在に至る。2015年(平成27年)に創立140周年を迎えた。
- 校訓
- 制服
- 制定されていない[1]。
- 校章
- マドンナリリーをかたどったもので、川上澄生がデザインしたものである[2]。
- 六校会
- 県立高校6校の生徒会役員が集まり、生徒会の意義や活動等について懇談する会。5校(宇都宮、宇都宮女子、栃木、栃木女子、佐野 )は固定メンバーとして毎回参加し、残り1校をゲストとして招く[3]。
- 通学者
- 宇都宮市出身者が大半を占めているが、鹿沼市や壬生町、下野市、上三川町、芳賀町、高根沢町、さくら市といった近隣の市町村からの通学者も多い。また、矢板市や塩谷町、那須塩原市、那須烏山市、日光市といった遠方からの通学者もいる。
- かつては学区制度があり、宇都宮市[4]・壬生町・下野市[5]・上三川町・芳賀町・高根沢町・さくら市[6]の3市4町以外の市町村の出身者は定員の25%までしか認められなかった。学区制度は2014年度入試(2015年度入学生)より廃止された。
沿革
高等女学校時代
- 1875年(明治8年)10月 - 下都賀郡栃木町(現・栃木市薗部町)に「栃木女学校」として創設。初代校長は手塚信敬。
- 1877年(明治10年)2月 - 「栃木模範女学校」と改称。
- 1879年(明治12年)7月 - 「栃木県第一女子中学校」と改称。
- 1881年(明治14年)5月 - 中学校(男子校、栃木県立宇都宮高等学校の前身)に統合され、「栃木県第一中学校女学部」となる。
- 1885年(明治18年)4月 - 栃木県庁の宇都宮移転に伴い、塙田町(県庁前)に移転。
- 1886年(明治19年)9月 - 「栃木県尋常中学校女学部」と改称。
- 1893年(明治26年)
- 4月 - 栃木県尋常中学校から分離し、「栃木県高等女学校」と改称。
- 6月 - 裁縫専修科を設置。
- 7月 - 河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮高等学校敷地内)に移転。
- 1895年(明治28年)4月 - 塙田町の旧校舎に復帰。
- 1896年(明治29年)10月 - 同窓会を発会。
- 1899年(明治32年)4月 - 専任校長が決定し、小堀源が就任。
- 1900年(明治33年)3月 - 服装規定を設け、全校生袴着用に統一。
- 1901年(明治34年)5月 - 「栃木県立宇都宮高等女学校」と改称。
- 1902年(明治35年)
- 8月 - 寄宿舎を西大寛町の新設校舎に移転
- 9月 - 定員を本科400名、補習科60名、技芸専修科60名、計520名とする。補習科・技芸専修科は本科修了後の課程。
- 1903年(明治36年)
- 4月 - 西大寛町(現在地)に移転。
- 5月 - 校友会(生徒会)が発足。
- 6月 - 校歌(旧校歌)を制定
- 9月 - 生徒服装規準を決定し、木綿長袖、海老茶袴、短靴とする。
- 11月 -徽章(胸章)を制定。
- 1905年(明治38年)3月 - 新校舎が全館完成。
- 1910年(明治43年)12月 - 技芸専修科を廃止。
- 1911年(明治44年)
- 2月 - 実科を設置。
- 4月 - 校章(徽章)を改定。校訓を制定。
- 1915年(大正4年)
- 9月 - 服装を木綿長袖から元禄袖[9]に改正。
- 10月 - 創立40周年を記念し、操橋(みさおばし)が開通。
- 1918年(大正7年)3月 - 実科を廃止。
- 1921年(大正10年)
- 3月 - 補習科を廃止。
- 4月 - 校歌を改定(現校歌)。
- 1922年(大正11年)2月 - 生徒定員を1000名とする。
- 1925年(大正14年)2月 - 標準校服を洋服(背広型)とする。
- 1928年(昭和3年)
- 4月 - 同窓会家事専攻部を設置。
- 8月 - 創立50周年記念館が完成。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 宇都宮市内に高等女学校が新設[10]されたことにより、「栃木県宇都宮第一高等女学校」と改称。
- 1932年(昭和7年)4月 - 服装をセーラー型に改定。校章(胸章)を改定。
- 1935年(昭和10年)10月 - 生徒保護者会が発足。
- 1936年(昭和11年)4月 - 同窓会経営の専攻科を県立に移管し、修業年限を2年とする。創立60周年を記念し体育館が完成。
- 1939年(昭和14年)2月 - 修業年限を5年とする。
- 1941年(昭和16年)
- 4月 - 校友会を改組し、報国団とする。文部省により女子中等学校生徒の服装(ヘチマ衿[11]バンド付)が制定される。
- 6月 - 生徒勤労動員が開始。
- 1942年(昭和17年)9月 - 寄宿舎内で熱病(パラチフス熱)が蔓延。15日までに231人が症状を訴えた[12]。
- 1943年(昭和18年)
- この年 - 女子中等学校制服が(上)和服型・(下)モンペに改定される。
- 4月 - 中等学校令の施行により、修業年限が4年に短縮される。
- 1944年(昭和19年)
- 8月 - みさお保育園を開設し、勤労者の子弟教育を開始。陸軍省4年生に戦時看護訓練を実施。
- 9月 - 生徒通年動員が開始。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 専攻科を廃止。
- 4月 - みさお保育園を廃止。
- 9月 - 戦時通達による附設課程を廃止。
- 11月 - 報国団を解散し、生徒自治会が発足。校友会が再び発足。
- 1946年(昭和21年)3月 - 修業年限が5年に復帰。
- 1947年(昭和22年)
- 2月 - 校友会が解散し、生徒会が発足。
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 高等女学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:栃木県宇都宮第一高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制高校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ(1年不在)の中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(4年で卒業することもできた)。
- 文部省の補助を受け、附設幼稚園を開設。
新制女子高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「宇都宮女子高等学校」が発足。
- 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年生として、高等女学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は継承され(名称:宇都宮女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 10月 - 保護者会を解散し、PTAを発足。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。併設中学校卒業生は高校1年生となる。
- 4月 - 宇都宮市立宇都宮高等学校(旧・市立宇都宮高等女学校)を統合。
- 9月 - 校章(白百合バッジ)を制定。
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 図書館が完成。
- 4月 - 「栃木県立宇都宮女子高等学校」(現校名)と改称。
- 1954年(昭和29年)4月 - 家庭科1クラス50名の募集を開始。
- 1964年(昭和39年)
- 4月 - 家庭科の募集を停止。
- 11月 - 正門が完成。校舎増改築工事が完成。
- 1965年(昭和40年)1月 - 附属みさお幼稚園を設置。
- 1968年(昭和43年)12月 - 明鏡寮・プールが完成。
- 1975年(昭和50年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1977年(昭和52年)7月 - 講堂・記念館を解体。
- 1978年(昭和53年)7月 - 体育館兼講堂が完成。
- 1979年(昭和54年)10月 - 体育館兼講堂の付属庭園が完成。
- 1989年(平成元年)5月 - 旧図書館を解体。
- 1990年(平成2年)
- 1月 - 新図書館が完成。
- 7月 - 新プールが完成。
- 1995年(平成7年)3月 - 第2体育館が完成。
- 2002年(平成14年)4月 - 2学期制を導入。
- 2003年(平成15年)3月31日 - みさお幼稚園を閉園。
- 2004年(平成16年)12月 - 校内LANを整備。
- 2007年(平成19年)4月 - 普通教室に冷房を設置。
- 2008年(平成20年)4月 - 文部科学省により、スーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定される。
アクセス
の各路線で「宇女高前」下車[14]
著名な出身者
脚注
参考文献
- 宇都宮市西公民館ふるさと研究講座 編 編『陽西今昔物語』宇都宮市西公民館、1990年6月15日、63頁。
関連項目
外部リンク