村山弘義村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月13日 - )は、日本の検察官。弁護士(青陵法律事務所)。東京高等検察庁検事長を2000年に退官。 来歴新潟県出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1959年に新潟大学人文学部を卒業し、同年旧司法試験に合格。1962年(昭和37年)に検事任官。長野地検、福岡地検各検事正、最高検公判部長、同公安部長等を経て、1997年(平成9年)札幌高検検事長。1998年(平成10年)名古屋高検検事長。1999年(平成11年)東京高検検事長。 2000年(平成12年)に退官後、弁護士登録して、各種企業・団体役員を務める。2007年(平成19年)には瑞宝重光章を受章した。 日本相撲協会2008年(平成20年)に日本相撲協会外部理事に就任した。2010年(平成22年)には一連の大相撲野球賭博問題を受けて設置された相撲協会外部による特別調査委員会委員をつとめる。 2010年(平成22年)7月4日に一連の大相撲野球賭博問題を受けて、謹慎処分を受けた武蔵川理事長の代行として理事長代行に就任した。大相撲力士出身以外の者が日本相撲協会のトップに就任するのは元陸軍主計中将の広瀬正徳初代理事長以来72年ぶりのことであった[1]。名古屋場所2日目の7月12日には協会幹部に事前に十分な説明をせず名古屋を離れ東京に向かい、名古屋場所担当部長の二所ノ関親方(金剛正裕)を困惑させた[2][3][4] [5]。 当初は、千秋楽の7月25日まで22日間の代行となる予定であった。しかし、武蔵川理事長の体調不良[6]に加えて、理事長の指名を受けて場所後に代行に就くと発表された出羽海事業部長が、特別調査委員会のメンバーによる維持員席の暴力団へ渡った問題で報告を受けながら黙認したことを問題視される事態となった。そのため、村山が場所後も代行を継続することになり[7]、8月5日武蔵川理事長が理事長職に復帰するまで代行職を務めた[8][9]。その武蔵川も8月12日に理事長を退き、後任の放駒理事長のもとで新設された副理事長に就任することとなった[10]。 2012年1月31日、日本相撲協会外部理事を退任。 略歴
脚注
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