日吉駅 (神奈川県)
日吉駅(ひよしえき)は、神奈川県横浜市港北区日吉二丁目にある東急電鉄、および同四丁目にある横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。 乗り入れ路線以下の2社局4路線が乗り入れ、接続駅となっている。 歴史日吉駅の北西にある日吉不動尊付近は東京急行電鉄の前身の一つである東京横浜電鉄が土取り場として最初に買収した地であり、そのため日吉は東急電鉄発祥の地とされている[1][2]。1956年(昭和31年)にその地に「東急電鐵発祥之地」の記念碑が建立され、その後東急記念公園として整備されていたが、2001年に公園が閉鎖され2003年に元住吉駅構内の「東急教習所」に移設されている[1][2][3]。
駅名の由来→「日吉 (横浜市) § 地名の由来」、および「日吉村 (神奈川県)」も参照
駅設置当時に橘樹郡日吉村大字矢上字一本松に位置していたことから、地名を採ったものである。 駅構造東急電鉄
島式ホーム2面4線を有する半地下駅である[18]。1988年から1991年まで改良工事を施工した関係でホームは半地下化されており、駅舎はホーム上に建設された人工地盤の上に立地する。 外側2線を東横線の電車、内側2線を目黒線の電車が使用している。また外側・内側の両線から東急新横浜線に直通する電車が発着している。 駅長所在駅であり、「日吉管内」として当駅と綱島駅を管理している[19]。 東急管理のトイレは1階の改札内にある。ユニバーサルデザインの一環として車椅子などの利用に対応した個室(多機能トイレ)は設置されていなかったが、2006年12月頃に移転し、同時に多機能トイレの使用が開始された。 ホーム上にはエレベーターが設置されている。改良工事時点では日吉東急avenueにつながるもので、駅係員の付き添いがない限り利用できなかったが、その後横浜寄りに新しく自由に利用できるコンコースとのエレベーターが設置された。 2008年3月30日の横浜市営地下鉄グリーンライン開業に合わせて、東横線とグリーンラインを結ぶ地下通路の新設と東横線の改札口の増設が行われた[20]。 改良工事1988年 - 1991年の工事当駅はもともと線路の位置が周囲の土地よりかなり低く、東西の改札口と駅舎は地上レベルであったが、ホームは掘割の底にあった。島式2面4線のホームと、綱島駅寄りに引き上げ線2本を併せ持つ構造が長らく続き、この時期には渋谷駅 - 日吉駅間において折り返し運転をする各駅停車と日比谷線直通電車がそれぞれ留置される光景も見られたほか、荷物電車や試運転列車の折り返しにも利用されていた。引き上げ線の有効長は列車の編成両数の増加に合わせ、最終的には18m車×8両の長さ[注釈 2]となったため、水平な引き上げ線と綱島駅に向かって下り勾配となる本線との比高はかなりのものとなっていた。 1988年から1991年にかけて大規模な改良工事が行われ、この期間中は島式ホーム1面2線の状態となり、引き上げ線の使用も中止されたため、当駅での急行と各駅停車との緩急接続および始発・終着列車の設定が一時的に不可能となった。このため、当駅で急行の接続待ちを行っていた各駅停車は隣の元住吉駅における急行の通過待ちに変更され、さらに当駅発着の列車は元住吉駅あるいは菊名駅発着となった。この際、日比谷線直通電車の運転区間は、それまでの中目黒駅 - 当駅間から菊名駅まで延長された。 この改良工事が完成した後、島式2面4線ホームの構造に戻り、緩急接続も再び当駅で行われるようになり、日中の日比谷線直通電車も当駅発着に戻った。ただし、引き上げ線については1線に縮小された。 目黒線への転換工事前項で述べた大規模な改良工事を行っていた一時期を除き、長らく内側2線(2・3番線)を待避線として使用し、ここで各駅停車が急行(後に通勤特急も)の接続待避や、特急運転開始後は特急の通過待避なども行っていた[注釈 3]。また、終電間際には東横線内の当駅止まりの電車も設定されており、夜間に引き上げ線および2・3番線ホームに留置され、翌朝に始発列車として運転されていた。 目黒線が当駅まで延伸するのに先立って、2007年8月23日のダイヤ改正からこの待避線および引き上げ線を目黒線の設備に切り替える工事が行われることになり、待避線の使用や当駅発着列車の設定は再度不可能となった[21]。このため、当駅における緩急接続や通過待ちは、すべて隣の元住吉駅での特急・通勤特急・急行いずれかの通過待避に変更されたほか、当駅発着列車については武蔵小杉行もしくは菊名行に変更され、日比谷線直通もこの時から菊名駅まで終日運行されるようになった[注釈 4]。この転換工事完成の際に引き上げ線が1本から2本に再度増設されたが、有効長がそれぞれ異なり、2本のうち1本は20m車×8両編成分、もう一方は20m車×6両編成分である。 目黒線が当駅まで延伸されたのは2008年6月22日である。ホームドアも稼動開始され、色は群青色である[22]。 10両編成対応工事2013年3月16日から開始された東横線と東京メトロ副都心線(およびその先の西武池袋線と東武東上線)との相互直通運転に合わせ、特急・通勤特急・急行が8両編成から10両編成に増強された。これに伴い、当駅の綱島駅寄りにおいてホーム延長の改築工事が実施された。 東急新横浜線建設に伴う工事→詳細は「神奈川東部方面線 § 相鉄・東急直通線」を参照
2012年より、神奈川東部方面線のうち羽沢横浜国大駅から当駅を結ぶ相鉄・東急直通線(相鉄新横浜線・東急新横浜線[23])の建設工事が鉄道建設・運輸施設整備支援機構によって進められた。 これに伴い、当駅の綱島方では東横線高架橋の架け替えなど大規模な工事が実施された。目黒線用の引き上げ線2本があった位置に、地下へと潜る東急新横浜線の線路が設けられたほか、上下線間に新たな目黒線用の引き上げ線1本(8両編成2本の縦列入線が可能)が設けられた。また、ホーム側でも工事に伴う列車停止位置の変更[24]や目黒線での8両編成運行に伴う改良工事が行われた。 当駅発着列車日比谷線直通電車のほか、東横線・みなとみらい線内を走る電車についても当駅発着列車が数本存在した。 2006年9月、武蔵小杉駅 - 当駅間が高架化および配線変更などにより、高架化された新しい元住吉駅構内と元住吉検車区を直接結ぶことが不可能な配線となった。それまで元住吉始発としていた各列車は武蔵小杉駅発着となり、下り線(元町・中華街方面行)については大半が当駅始発となった。これは、この高架線切り替えと同時に元住吉検車区から当駅までを直接結ぶ「下り出庫線」が設けられたためである。 のりば
配線図
横浜市営地下鉄
島式ホーム1面2線を有する地下駅。東急線の駅とは直交しており、駅の半分は慶應義塾大学日吉キャンパス構内のいちょう並木の下に設けられている[32]。地下3階がコンコースおよび改札口、地下4階がホームになっている。地下鉄の改札階には東急線の改札も新設され、地下での乗り換えが可能である。ステーションカラーは慶應義塾大学や商店街の賑わいや活気をイメージしてあか(薔薇色) [33]。 駅長所在駅。日吉管区駅として当駅 - 北山田間を管理している[34]。 駅のデザインテーマは「かたらいのひろば」で、学生の街としての若々しい「動」と、静かで落ち着いた住宅地としての「静」を持ち合わせた駅の創造を目標とし、ガラスを使用して透明感のある外観にすることで周辺との調和が図られている。内部空間は、ガラスモザイクタイルを用いて人の流れを演出。コンコースの「赤」から地上部の「青」へ変化する様は、「動」から「静」への空間の移り変わりを表現している[35]。 のりば
利用状況2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開業したことにより、利用客は大幅に増加した。
年度別1日平均乗降・乗換人員各年度の1日平均乗降人員・乗換人員は下表の通り。
年度別1日平均乗車人員(1980年 - 2000年)各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
駅周辺→「日吉 (横浜市)」も参照
駅東側には、慶應義塾大学日吉キャンパスが綱島街道(県道2号)を挟んですぐの所にある。駅西側は商店街と住宅街だが、学術施設が多いため、学生が多く、学生向けの飲食店などが多い[37]。 学校
小売店その他
バス路線東急バスと川崎鶴見臨港バスが運行する路線バスと、東急バスとフジエクスプレスによる富士山・御殿場方面行き高速バスが運行されており、綱島街道沿いに南(綱島方)から番号順に0 - 4番乗り場が、日吉東急avenueの南側に5 - 7番乗り場がそれぞれ設置されている。なお、元住吉方向に行くバスは現在廃止になっている。 2008年3月30日に、綱島街道沿いのバス停留所名は「日吉駅東口」[38]、日吉東急avenueの南側の停留所名は「日吉駅」[39]とされた。 本駅の元住吉駅寄りの東側にバスの待機場があり、0 - 4番乗り場に発着するバスは一度待機場に進入して折り返す。かつては、ここに東急バス日吉営業所があったが、1993年にその機能は東山田営業所に移されている。日本大学高等学校・中学校のスクールバスはこの待機場から発車する。
3番から発車している日40系統東山田営業所行きの内、深夜バスは0番のりばから発車する。ただし、現在は運休となっている。 かつては、東急バス運行の深夜急行バス「ミッドナイト・アロー」が当駅前を経由していた(降車専用)。なお現在は廃止されている。 隣の駅東急電鉄
横浜市営地下鉄
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
|