新開 (さいたま市)
新開(しびらき)は、埼玉県さいたま市桜区の町名。現行行政地名は新開一丁目から新開四丁目および大字新開。町丁は住居表示実施済み[4]。郵便番号は338-0834[2]。さいたま市の難読地名の一つに数えられる[5][6]。 地理さいたま市桜区南部の沖積平野に位置する。付近は概ね東を新開通[7]に、西を鴨川に、南を鴻沼川に、北を油面川に囲まれており、桜田、町谷、道場、南元宿(飛地)、関(飛地)、西堀(飛地)、田島に囲まれている。住宅地のほか鴨川堤防に近い地域では墓地や桜環境センターが立地する。鴨川の旧堤防から東は田んぼが広がり、大雨になると川の水が氾濫し、昭和までは水害の常襲区域であった。現在でも鴨川の旧堤防から西側は田園地帯となっている。地区内では旧堤防沿いに桜並木が多く見られる。大字新開は荒川堤外地(河川敷)に存在し、主にゴルフ場として利用されている。 河川小字歴史1590年(天正18年)の小田原征伐により後北条氏方の岩槻城が落城し、城から落ち延びた旗本の士浪人が土着し一村を開いた[9][5]。村は「新開村」(新たに開かれた村)とよばれ地名の由来となった。 開村当初は武蔵国足立郡与野領に属し、天領(幕府領)だったが1655年(明暦元年)に高鼻氷川神社領(社領)となる[9]。1694年(元禄7年)に検地が行われた[9][10]。後年、村民により平野原地区が持添新田として開墾されたが、これらの地域は天領とされた[9]。村の西方に荒川水除堤が築かれていた。村高は「武蔵田園簿」では45石余(田42石余、畑3石余)、「元禄郷帳」では増減なし、「天保郷帳」では52石余。化政期の戸数は14軒[10]、1838年(天保9年)の戸数は変わらず人口は85人で、村の規模は東西南北共6町余であった[9][10]。
世帯数と人口2019年(平成31年)1月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
明治9年の新開地区の人口
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]。
交通地内に鉄道は敷設されていない。 道路地区内に国道や主要地方道・県道は通っていない。
施設
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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