情報司令部韓国国防情報司令部(かんこくこくぼうじょうほうしれいぶ、韓: 정보사령부、英: Korea Defence Intelligence Command (KDIC))略称:情報司は、大韓民国国軍にて、情報収集及び諜報業務を遂行する国防部国防情報本部傘下の機能司令部である。海外/対北軍事情報収集及び機密諜報業務を担当しており、その中でも特に人間情報分野に重点を置いている。過去に北朝鮮に潜入した特殊工作員である北派工作員の所属機関としてもよく知られている。 上位部隊である国防情報本部や同じくその傘下の777司令部と同様、活動実態のほとんどが機密事項であるため、公表されている情報は極めて少ない。 沿革陸軍1945年11月に米軍政庁国内警備部(統衛部)に情報課が設置された。1946年1月15日に創設された南朝鮮国防警備隊総司令部の「情報課」が母体であり、その後、情報処に改編される。1948年5月に傘下部署として内部の防諜を担当する特別調査課(Special Intelligence Service, SIS、長:金安一少領)が設置され、麗水・順天事件以降大規模な粛軍に従事した。 1948年8月に情報局と改称され、9月に大韓民国国軍の正式成立に伴い陸軍本部の傘下に入った。それに伴い、統衛部情報課とも合併した。11月に諜報分析を担当する「情報隊」(第1課)が設置された。朝鮮戦争勃発直後の1950年7月に諜報作戦を担当する「工作課」(第2課)が新設された。これにより、既存の防諜隊(特別調査課より改称)は「第3課」と呼ばれたが、同年10月に第3課は情報局から分離して陸軍本部直属の「特務部隊」(CIC)となり、のち国軍機務司令部、現国軍防諜司令部として現在に至る。 第2課は白骨兵団とともに戦地で非正規活動を展開し、1951年3月に諜報分遣隊本部(Headquarters of Intelligence Detachment, HID)として分離独立。李承晩大統領の指示で7月16日より3度にわたり板門店の休戦協定会談場の破壊工作を試みた。当時実行した金晋洙少尉によれば、一度目の襲撃の際は、国連軍側、共産軍側ともに黙認の姿勢をとったという。8月に二度目の襲撃を行い、前後して19日には警備中の志願軍の憲兵小隊を襲撃し、小隊長を射殺、隊員一名を負傷させた。9月の三度目の突入では志願軍の警備人員8名を捕虜にしたが、以降は国連軍からの圧力で板門店から遠ざけられた[1]。 休戦後もHIDは北派工作を続け、1961年に陸軍諜報隊(Army Intelligence Unit, AIU)に改編された。1972年に陸軍情報隊と陸軍諜報隊が再統合され、「陸軍情報司令部」(Army Intelligence Command, AIC)が設置された。 海軍と空軍1948年9月に海軍作戦局内に情報課が創設され、1954年に海軍情報部隊(UDU)に改編された。空軍は1954年に情報部隊「第20特務戦隊」(第2325部隊)を創設した。その工作部隊の一つ、第209分遣隊(第684部隊)は実尾島事件を引き起こした事で知られる。 1990年以降1990年9月29日に3軍の情報部隊が統合され、国軍情報司令部が創設された。その後、1999年3月30日に「国軍情報司令部令」が廃止され、国防情報本部傘下に編入され、部隊名称が従来の国軍情報司令部から情報司令部に変更された。 情報司本部はソウル特別市瑞草区瑞草洞にあったが、2013年に京畿道安養市万安区朴達洞に移転した。それまで建物の存在がソウル瑞草大路の内房駅と瑞草駅の間を遮っていたため、旧情報司跡の地下に瑞草トンネルが2019年4月22日に開通した。 不祥事白色テロ第五共和国時代に司令官を務めた李鎮三は在任中の1985年〜86年にかけて、民主化推進協議会の共同議長であった金泳三や新韓民主党副総裁楊淳稙、民主党議員金東周への自宅への侵入や暴行など計5件の民主派政治家の襲撃事件を指示したとして、民主化後の1993年に逮捕、起訴され、執行猶予2年が確定した[2]。 1988年8月、中央経済新聞の社会部長として軍部への批判的な論陣を張っていた呉弘根記者が自宅マンションで情報司令部の部隊に襲撃され重傷を負った。これを受け、実行隊長が逮捕され、李鎮百司令官が更迭された[3]。李鎮百は李鎮三の弟である[4]。 情報漏洩2017年7月、情報司令部の内部情報である北朝鮮関連の軍事機密74件を駐韓防衛駐在官2名に漏洩させたとして、情報司令部元幹部と脱北者団体の代表が逮捕された。 情報司令部元幹部と脱北者は2013~2017年、2320万ウォンを見返りとして「咸南・平南地域ミサイル武器貯蔵室の位置及び貯蔵量」「北朝鮮の海外ミサイル技術者採用」「北朝鮮のSLBM潜水艦開発」「対北制裁品目密搬入の動向」など計74件の3級機密情報を手渡した。防衛駐在官のうち1名はペルソナ・ノン・グラータを受け、もう1名も2019年6月に出国した[5]。 2024年7月30日、軍事機密を中国籍の朝鮮族に流出したとして司令部に勤務する軍務員(軍属)が逮捕された。朝鮮族の人物は朝鮮人民軍偵察総局関係者とみられ、1億6千万ウォン(約1740万円)以上を見返りとして海外で諜報活動を行う軍情報要員の身元情報など軍事機密を受け取った。これを受け、海外活動中の情報要員に一時帰国措置が取られた[6]。 2024年非常戒厳での内乱未遂尹錫悦大統領による「非常戒厳」宣言直後の12月3日、中央選挙管理委員会果川庁舎に情報司令部所属の戒厳軍将兵10名が侵入し、職員の夜間当直者5人の携帯電話を押収し、有線電話を遮断した上でサーバールームを撮影していたが、議会の戒厳令否決を受けて撤収した[7]。本計画を指示したとして、現司令官の文相虎と元司令官の盧尚元[8]が12月18日、警察の特別捜査団により緊急逮捕された。 退役後、占い師をしていた盧尚元は金龍顕国防相とも近い存在で、非常戒厳宣言の2日前の12月1日、ムン司令官、部下2人とソウル郊外の京畿道安山のロッテリアの店舗で会食。その際、中央選挙管理委員会の資料の確保のため、果川庁舎への兵力投入を計画したとされる。 歴代司令官
その特性上、司令官以外の人事が現役時点で公表されることはほとんどない。三軍統合後も陸軍出身者で、陳鍾埰をはじめ第8師団長経験者が多い事が特徴。
関連項目脚注出典
参考文献
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