金炯一
金 炯一(キム・ヒョンイル、김형일、1923年10月28日 - 1978年6月3日)は大韓民国の軍人、政治家。本貫は金寧金氏[1]。京城法学専門学校、アメリカ陸軍大学、カリフォルニア州立大学フレズノ校卒[2]。 経歴1923年、京畿道華城に生まれる。1945年、京城法学専門学校卒業。学徒出陣して日本軍少尉。 1946年2月9日付で軍事英語学校を卒業して少尉に任官(軍番10045番)[3]。第8連隊の創設に参加。1948年8月8日、第8連隊長(中領)[4]。同年5月の表武源・姜太武大隊越北事件の責任を負って辞任。 1949年6月20日、陸軍本部兵器監[5]。1950年3月に来日して第7師団で研修を受けていたが[6]、朝鮮戦争が勃発すると帰国。同年8月、陸軍本部付戦況視察官(大領)[7]。同年10月、陸軍本部特務部隊長[8]。1951年、第7師団長(准将)。同年10月、陸軍本部軍需局長[9]。1952年、陸軍本部情報局長[10]。 1953年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。1954年、陸軍本部情報局長。1956年12月、連合参謀本部長。1959年3月2日、陸軍本部情報参謀部長[11]。1959年7月2日、第2軍団長[12]。1960年9月3日、陸軍参謀次長、任中将[13]。1961年3月2日、国防部長官特別補佐官[14]。同年6月、反革命容疑で逮捕されたが、10月に起訴猶予となる。同年11月、予備役編入[15]。 1963年11月、第6代国会議員(全国区、民政党)。民政党党務委員。京畿第10地区党委員長。 1967年6月、第7代国会議員(華城区、新民党)当選。新民党政務委員。1968年6月、新民党中央訓練院院長。1970年11月、同党政務委員・党紀委員。 1971年、第8代国会議員(華城区、新民党)当選。新民党事務総長。 1973年、第9代国会議員(華城区、新民党)。新民党院内総務。 1978年6月3日、ソウル市西大門区忠正路の自宅で脳溢血で死亡した[16]。 叙勲
出典
参考文献
外部リンク
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