第7歩兵師団 (アメリカ陸軍)
第7歩兵師団(だい7ほへいしだん、英語: 7th Infantry Division)とは、アメリカ陸軍の歩兵師団である。第1軍団に所属しており、第2歩兵師団より編入された2個ストライカー旅団戦闘団等から編制されている。 歴史第一次世界大戦第7歩兵師団は、第一次世界大戦中の1917年12月にジョージア州キャンプ・ウィーラーで新編された。第一次大戦中は、主にヨーロッパで戦い1505人の負傷者と204人の戦死者を出した。1919年にアメリカに帰国し、1921年9月22日にメリーランド州キャンプ・ジョージ・G・ミードで編成解除する。 第二次世界大戦第7歩兵師団は第二次世界大戦中の1940年7月1日にカリフォルニア州キャンプオードで復帰編成される。第二次大戦中は、アリューシャン列島、レイテ、沖縄で日本軍と戦い多数の死傷者を出した。第2次世界中、第7歩兵師団の3人の兵士に名誉勲章が送られた。1945年の日本降伏後は、日本に駐留し、本州の一部と北海道を占領した。 朝鮮戦争朝鮮戦争では仁川上陸作戦に加わるため、第10軍団に属して1950年9月11日に日本の横浜港で乗船した[1]。首尾良く仁川を占領した第1海兵師団に続いて上陸し、ソウル南方を確保した[2]。続いて漢江を渡って南東からソウル攻略戦に入り、北西から攻めていた第1海兵師団とともに、9月28日にソウル奪回を成し遂げた[3]。 それ以後、第7歩兵師団は、ポーク・チョップ・ヒルの戦い、オールド・ボールディの戦いを経験する。朝鮮戦争中、10,858人が負傷し、3,905人が戦死した。また13人の兵士が名誉勲章を受章した。1953年から1971年まで韓国に駐留し、1971年4月2日にアメリカに帰還し、ワシントン州フォートルイスで編成解除した。 ホンジュラスとパナマへの侵攻1974年10月21日にフォートオードで復帰編成され、ホンジュラス侵攻や1980年代後半から1990年代初頭にかけてのパナマ侵攻に参加した。1992年のロサンゼルス暴動では治安維持の任務のために出動した。その後、第7歩兵師団は、1994年6月16日にフォートルイスで編成解除した。 訓練・評価部隊第7歩兵師団は1999年10月4日にコロラド州フォートカーソンで復帰編成され、2006年6月4日にフォートカーソンで再再々解散されるまで、国境警備や州兵の予備役旅団の訓練・評価部隊として活躍した。 現在の第7歩兵師団2012年4月26日、国防総省陸軍省は第7歩兵師団司令部が復帰編成されると発表し、10月10日にジョイント・ベースルイス・マコードで編成された。当初は従属した旅団を持たない250人の司令部のみの師団だったが、その後、第2歩兵師団の第2・第3・第4ストライカー旅団戦闘団が第2歩兵師団の名を冠したまま第7歩兵師団に編入され、同時に第16戦闘航空旅団、第17野戦砲兵旅団、第555工兵旅団、第201戦場監視旅団も編入され、人員は約2万1,000人になった。後に第4ストライカー旅団戦闘団は閉隊した。 編制
脚注
参考文献
外部リンク
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