第12歩兵師団(だい12ほへいしだん、제12보병사단、第十二步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。
歴史
第12歩兵師団は朝鮮戦争中に行われた韓国軍の増強計画の一環で1952年11月8日に江原道襄陽郡にて第15歩兵師団とともに創設された。初代師団長は尹春根准将。愛称の乙支は李承晩大統領によって命名された。
編成
- 第51歩兵旅団
- 第17歩兵旅団
- 砲兵旅団
- 第63砲兵大隊
- 第66砲兵大隊
- 第89砲兵大隊
- 第379砲兵大隊
- 工兵大隊
- 補給輸送大隊
- 戦車大隊
- 憲兵大隊
- 情報通信大隊
- 衛生大隊
- 対CBRN部隊
- 捜索大隊
- 整備大隊
- 補充中隊
- 防空中隊
- 物流支援大隊
師団長
| |
代 |
氏名 |
在任期間 |
出身校・期 |
前職 |
後職 |
備考
|
漢字/片仮名表記 |
原語表記
|
1 |
尹春根 |
윤춘근 |
1952.11.8 |
中訓5期 警士2期 |
西南地区戦闘司令官 |
30師団長 |
|
2 |
李周一 |
이주일 |
1954 |
満州軍校1期 日本陸士56期相当 陸士特7期 |
陸大在学 |
国防大学院在学 |
|
3 |
文容彩 |
문용채 |
1957 |
中訓5期 軍英 |
第25師団長 |
予備役編入 |
|
4 |
李龍 |
이용 |
1958.3 - 1959.7 |
奉天7期 |
第1軍作戦参謀 |
第6師団長 |
|
5 |
朴春植 |
박춘식 |
1959.7 - 1961.8.16 |
警士5期 |
第5師団長 |
交通部長官 |
|
|
白行傑 |
백행걸 |
1974[1] - 1975? |
陸士10期 |
第3軍参謀部長 |
予備役 |
|
|
張正烈 |
장정열 |
1975? - 1977? |
警士2期 |
|
陸軍本部戦略企画参謀部長 |
|
|
リュ・グンム |
류근무 |
?-? |
陸士13期 |
|
|
|
20 |
千容宅 |
천용택 |
1985[2] - ? |
陸士16期 |
陸軍本部政策企画室体系分析処長 |
陸軍本部民事心理戦参謀部長 |
|
21 |
朴世煥(朝鮮語版) |
박세환 |
1987[3] - ? |
学軍1期 |
国防担当秘書官 |
第8軍団長 |
|
22 |
呉栄祐 |
오영우 |
?-? |
陸士20期 |
|
|
|
27 |
朴勝椿(朝鮮語版) |
박승춘 |
1998 - 1999 |
陸士27期 |
|
|
|
28 |
チェ・ムチョル |
최무철 |
1999 - 2001? |
陸士28期 |
|
歩兵学校長 |
|
29 |
キム・ジンハン |
박승춘 |
2001? - ? |
陸士30期 |
|
|
|
30 |
林雲澤 |
임운택 |
?-? |
陸士33期 |
|
|
|
31 |
イ・サンドン |
이상돈 |
? - ? |
陸士33期 |
|
|
|
32 |
李鐘明(朝鮮語版) |
이종명 |
? - ? |
陸士35期 |
第2作戦司令部作戦処長 |
合参本部戦力発展部長 |
|
33 |
カン・ビョンジュ |
강병주 |
? - ? |
陸士37期 |
合参本部戦力企画部戦力企画1処長 |
合参本部戦力企画部長 |
|
34 |
張京錫 |
장경석 |
? - 2015.10 |
陸士39期 |
国防部国防改革総括局長 |
国防部政策室政策企画官 |
|
35 |
趙鍾卨 |
조종설 |
2015.10 - 2016.10 |
陸士41期 |
合参本部作戦本部作戦部作戦1処長 |
第3軍参謀長 |
|
36 |
ソン・イル |
성일 |
2015.12-2017.12 |
陸士43期 |
|
|
|
37 |
パク・ヨンジュン |
박용준 |
2018.1-2019.11 |
陸士45期 |
第2砲兵旅団長 |
陸軍砲兵学校長 |
|
38 |
丁德聲 |
정덕성 |
2019.11-2021.12 |
学軍29期 |
大統領警護所軍事管理官 |
合同参謀本部軍事支援本部民軍作戦部長 |
|
39 |
イ・ジンウ |
이진우 |
2021.12.19-2023.4 |
陸士48期 |
|
|
|
40 |
チョ・チョンレ |
조종래 |
2023.4-2024.5.1 |
陸士50期 |
連合司作戦処長[4] |
陸軍本部情報作戦参謀部長 |
|
41 |
チョ・ウジェ |
조우제 |
2024.5.1[5]-現 |
学軍20期 |
15師団38歩兵連隊長 |
|
|
不祥事
2024年5月23日午後、江原道麟蹄郡の師団新兵教育隊に属する訓練兵6名が、前日夜に就寝点呼に違反したとの理由で完全軍装の上、先着順のランニング、腕立て伏せ、駆け足などの軍紀訓練(オルチャリョ、しごき)を繰り返し受け、うち1名が意識を失って倒れ、民間病院に搬送されたものの2日後に死亡した。 死因は熱中症による多発性臓器不全を伴う敗血性ショックであることが確認された[6]。陸軍兵営生活規定により、体罰の執行幹部たる中隊長および執行者たる副士官は実施前に対象者に確認書を作成し、また実施現場で対象者の体調管理を監督する義務があるが、副中隊長は体罰の実行を中隊長に口頭で済ませ、また他の訓練兵が当該訓練兵の体調悪化を報告していたにもかかわらず体罰を継続させた事が判明している[7]。6月21日、春川地方裁判所は中隊長(大尉)と副中隊長(中尉)に対し拘束令状を発行[8]。江原警察庁は27日、業務上過失致死と職権乱用の疑いで2名を検察に送致した[9]。
脚注
出典
関連項目