広島銀行銀山町支店広島銀行銀山町支店(ひろしまぎんこうかなやまちょうしてん)は、広島県広島市中区にある広島銀行の営業所。旧店舗はかつての広島合同貯蓄銀行本店であり、また被爆建造物であったことから一部が保存されている。 金融機関コード電話番号は省略する[1]。
略歴
歴史竣工から戦時期まで→「広島合同貯蓄銀行」も参照
改築前の広島銀行銀山町支店は1937年12月、当時の町名は下柳町(現・銀山町)であったこの地に「広島合同貯蓄銀行本店」として新築された。古代ギリシア風の鉄筋3階建て(地下1階)で、設計は地元建築家の豊田勉之、施工は藤田組であった[2][3]。なお、広島合同貯蓄銀行は、1921年12月に設立された貯蓄銀行[4]であり、1922年貯蓄銀行法施行により従来の貯蓄銀行が普通銀行に転換することになったため、広島県主導で県下の数行合同出資で新設されたものである[4]。 その後1945年5月に県下他行との合同により藝備銀行が発足すると、旧広島合同貯蓄銀行本店は藝備銀行下柳町支店となり[5]、さらに同年7月、下柳町支店は本店に統合されたためこの建物は警察側からの要請により広島東警察署となっていた[2][6]。 被爆1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下。東警察署となっていたこの建物は爆心地から約1.2キロメートルに位置し、爆風により天井などが損壊したが全壊は免れた[2][3]。翌8月7日、全壊した広島県庁舎の代わりとしてここが臨時庁舎に用いられ、8月19日まで続いた[3]。 同年12月1日から2週間に渡り、米国戦略爆撃調査団がここで被爆者に対して聞き取り調査をしている[7]。これに従事したアメリカ陸軍情報部日系語学兵の一人にワタル・ミサカがおり、その時の聞き取り資料は現在広島平和記念資料館に保存されている[7]。 1950年、県警から広島銀行に返還され、広島銀行銀山町支店となった[2][3]。1988年に建て替えられ、旧支店は玄関部分のみモニュメントとして残っている[2][3]。 参考文献
脚注
関連項目
外部リンク |
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