國前寺
國前寺(こくぜんじ)は、広島県広島市東区山根町にある日蓮宗本山(由緒寺院)の寺院。すぐそばに尾長天満宮がある。 沿革尾長山(二葉山)麓で庵を営んでいた暁忍が日像に師事、1340年(暦応3年)「暁忍寺」として開山した。 1656年(明暦2年)、広島藩浅野家2代藩主浅野光晟正室の満姫(加賀藩主前田利常の三女)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、現名の「國前寺」に改名した。その後本堂は満姫が、その他諸堂は光晟が建立し直した。1692年(元禄5年)、不受不施派禁圧により寺領を没収された。この際浅野家は天台宗に改宗し牛田の日通寺に菩提寺を変えている。 1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。ここは爆心地から約2.60kmに位置した。爆風により建物は北東方向に傾いたが倒壊は免れた。ここの南には東練兵場が広がっており、被爆者が数多く避難してきた。翌7日から境内に大日本帝国海軍による救護所が設けられ特に重傷者を中心に運び込まれ、呉鎮守府派遣の医療班や近隣地域の民間医師団など様々な医師が活躍した。9日には被爆地救援に当たる宇品の船舶司令部麾下の陸軍船舶兵(暁部隊)の一隊が拠点をおいた。 戦後は部分的な修理が行われていたが痛みが進行したため、1988年(昭和63年)からまず庫裏を3年かけて修理、2001年(平成13年)から本堂を5年かけて修理した。 現住は39世・疋田日量(英親)貫首[1]。 文化財1993年(平成5年)12月9日に本堂と庫裏が国の重要文化財に指定された[2]。双方とも広島藩の城大工による建築で、一般的な寺社建築ではなく城郭建築の手法が用いられているのが特徴。 また同1993年には市により現存する被爆建物リストに登録された。1995年(平成7年)山門および参道を構成する境内は市の重要有形文化財に指定されている。 重要文化財(国指定)
広島市指定文化財その他旧末寺日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
交通
関連項目
脚註外部リンク
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