山古志村
山古志村(やまこしむら)は、新潟県の中越地方に位置した村。2000年の長岡市への通勤率は20.1%(平成12年国勢調査)。2005年4月1日に長岡市に編入合併された。 概要→「山古志 (長岡市)」も参照
江戸時代初頭に「山二十村」、「山六ケ村」と呼ばれていた村々が1800年代に入り、総称して山古志の名で呼ばれるようになったとされる。古くは1824年の記録にて山古志村々との表記を公式文書に確認することができる[2]。「山古志」という呼称の由来としては、信濃川右岸一帯を指した古志郡のうち、山に当たる地域であったことが挙げられると日本地名研究所の所長を務めた谷川彰英が指摘している[3]。 1970年代から民俗学者の宮本常一が村おこしを手伝い、丘陵地の斜面に広がる森林と棚田、ニシキゴイの養殖、そして「牛の角突き」と呼ばれる闘牛など「日本の原風景が残る村」を観光資源としてPRしていた[4]。 2003年3月から9月にかけて放映されたNHK朝の連続テレビ小説『こころ』の舞台にもなった。 2001年1月に素案が示された新潟県の「市町村合併促進要綱」で、長岡市への合併案が示され[5]、2004年9月9日に合併協定に調印した[6]。2005年4月1日に合併が成立し[7]、合併後の地名表記は「古志」となっていたが、中越地震を受けて「山古志」を残す方向性となった[8]。詳細は山古志を参照。 2004年10月23日に発生した新潟県中越地震により甚大な被害を受けた。村役場(現山古志支所)に設置されていた震度計が激しい揺れで壊れたため具体的な震度は不明だが、地震発生前の風景は地震に伴う土砂崩れなどで著しく崩落し、その姿を大きく変えた。また村域に通じるすべての道路が寸断されたため孤立し、村は全村民に対し避難指示を出し、26日までに隣接する長岡市など(大半が長岡ニュータウン内の仮設住宅)での避難生活を余儀なくされた。避難指示は長岡市への編入合併後の2007年4月1日にほぼ全域で解除されたが、震災以降に地域外へ生活拠点を移した世帯が多く、域内の高齢化が深刻化しつつある。 地理隣接していた自治体歴史行政区域の変遷出来事
合併後の歴史については山古志 (長岡市)#歴史を参照。 人口山古志村(に相当する地域)の人口推移(国勢調査に基づく、ただし1950年以前は推定値[注釈 1])
2004年の中越地震は離村の契機の一つに過ぎず、高度成長期より急激な流出が始まっていた。1980年の調査における高齢化率(65歳以上の高齢者が占める割合)が17.1 %であったのに対し、2015年の調査では48.7 %と、現在の長岡市域で最も高い数値を示している。 行政村長
経済産業棚田による稲作のほか、養鯉が盛ん。1960年代までは稲作の副業としての水田養鯉が主であったが、その後は養鯉の専業化が進み、養鯉池が増加した[24]。 肉牛の生産も行われている[1]。 教育長岡市編入時、村域内には小学校と中学校が各1校所在し、山古志竹沢に両校を併設した校舎が設けられていた。
交通公共交通鉄道地域内には鉄道路線が経由する箇所は無い。最寄り駅は長岡駅、宮内駅、小千谷駅、越後川口駅、越後広瀬駅など。いずれもコミュニティバスと路線バスの乗り継ぎ、タクシーもしくは自家用車でのアクセスとなる。 路線バス越後交通と同社の地域子会社である越後柏崎観光バスの2社が長岡市や小千谷市方面とを結ぶ路線を計4路線運行していたが、前述の中越地震の影響で、村域内を運行する路線バスは全便が運休・減便処置となり、合併後の2007年12月に廃止となり、その後コミュニティバス「クローバーバス」の運行が開始された。 小出駅・越後広瀬駅方面の路線が運行されていた時期もあった[25]。 道路村域内には高速道路が経由する箇所は無い。最寄りのインターチェンジは関越自動車道の小千谷ICとなる。 現在も国道352号など未成区間が残存している道路や、一部県道には冬季間全面通行止となる区間がある。 中越地震では村域内の多くの幹線道路が寸断され、復旧は合併後に持ち込された。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事→「山古志 (長岡市) § 観光」も参照
出身有名人映画
ドキュメンタリー脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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