小田急ジュノー
小田急ジュノー(おだきゅうジュノー)は、神奈川県横浜市を本拠地に活動していた、小田急グループの女子バレーボールチーム。 歴史1986年、小田急電鉄を中核とした小田急グループは新たなイメージ戦略として女子バレーボールチームを設立した。新しいチームは1984年のロサンゼルスオリンピックの日本代表で銅メダルを獲得し、現役を退いて結婚していた丸山由美(旧姓:江上)を監督として招き、急速な強化を図った。丸山は翌年の1987年に現役へ復帰し、1988年のソウルオリンピックでは小田急所属選手として日本代表に参加して4位になった。丸山は1989年に現役を引退したが、小田急は1990年に第24回日本リーグへ昇格し、1992年のバルセロナオリンピックにはセッターの高橋有紀子を日本代表の一員として送った。1993年、最後となった第27回の日本リーグでは扇城高等学校(現在の東九州龍谷高等学校)から加わった森山淳子が新人賞を獲得した。 小田急は1994年に発足したバレーボールの国内新リーグ、「Vリーグ」の創立メンバーになったが、他の強豪チームと比較するとジュノーの成績は振るわず、1996年には入替戦でJTマーヴェラスに敗れ、2部に当たる日本実業団リーグへ降格した。1997年、入替戦で日立ベルフィーユを破って第4回Vリーグには復帰したが、エースの熊前知加子が日本代表に選ばれた一方でチーム成績が低迷すると、1998年から翌年にかけての第5回Vリーグ開幕前に同シーズン限りでのチームの休部が発表された[1]。結局、このVリーグでは18戦全敗、特に2LEGではセットすら取ることが出来ないほどであった。 こうして、小田急は13年間の歴史に幕を下ろした。チーム一体となった移籍は実現せず、所属選手はそれぞれ別のVリーグやV1リーグ(実業団リーグを改組したリーグ)のチームなどへ移籍した。この際に小田急を離れた若手選手の菅山かおる、大沼綾子は、後に日本代表入りした。 現在、小田急はジュノーの後継にあたる強化型のチームは所有していないが、丸山を主任講師にした「小田急バレーボールクリニック」を開講し、小田急線沿線の東京都世田谷区などで活動している。 成績主な成績
年度別成績
休部年度の選手・スタッフ1998年12月23日版[2] 選手
スタッフ
主な所属経験選手→「小田急ジュノーの歴代選手・スタッフ一覧」も参照
エピソード脚注関連項目外部リンク |
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