小田切
小田切(おたぎり)は長野市中西部の地区。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡小田切村(おたぎりむら)についても述べる。 「小田切」の地名の由来は、1889年(明治22年)の合併の際、戸数の多い塩生村が村名になる予定だったが、鎌倉時代から1598年(慶長3年)まで小田切氏が地頭として塩生・小鍋・山田中の3か村を治めていたことから、この3か村は小田切の里と呼ばれ、小田切神社もあることから小田切村とされた[1]。 人口地域内の人口(長野市役所小田切支所管内)は407世帯 770人(令和5年3月1日時点)[2]。 以下の1881年から1995年までは『長野市誌 第8巻』[3]に、2000年~は住民基本台帳の各年1月1日時点のデータ[2]に基づく。 1935年の3000人台をピークとして、徐々に減少を続けている。近年は特に減少の速度が高まっており、少子化のため1998年に小田切小学校は廃校になった[4]。過疎化・高齢化が進んでおり、対策が急務になっている[5]。
地理善光寺平北西部に位置し、いわゆる西山地域と呼ばれ、標高998メートルの富士ノ塔を頂点に、東西5,9キロメートル、南北5,6キロメートルの範囲で、高低差500メートルの急峻な地形に大小の集落が点在している[1]。 古くから開けた土地で、馬神・川後からは縄文時代の遺物が出土し、馬神や吉窪には古墳群がある[1]。 山岳
河川
歴史
産業農業については、穀類、煙草、養蚕、酪農が営まれてきたが、現在ではりんごの栽培が主なものになっている[1]。 富士ノ塔山への登山や小田切八景などについて観光資源として活用が図れるよう、地区の住民自治協議会が取り組みを続けている。富士ノ塔山山頂には展望台や案内板が設置されており、南は川中島平から、浅間山、菅平が望め、北は戸隠連峰、飯縄山等の眺望を楽しむことができる[1]。 大字・町丁
交通脚注
参考文献外部リンク |