室孝次郎
室 孝次郎(むろ こうじろう、天保10年9月14日(1839年10月20日) - 明治36年(1903年)6月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党)、愛媛県知事。名は方義、字は子成、号は桜蔭。 経歴越後国高田本誓寺町(現在の新潟県上越市)の商人市郎右衛門の長男。慶応2年(1866年)、京に上って勤王の志士たちと交わった。戊辰戦争中の明治元年(1868年)7月、新政府軍が高田に入ると、北陸道官軍御用掛を務め、さらに親兵隊に属して戦闘に参加した。 明治3年(1870年)には高田藩の民政属吏聴訟断獄掛、ついで藩校助教授を務めた。廃藩置県後は高田病院の建設に尽力し、明治8年(1875年)には彌彦神社宮司に任じられたが、翌年辞任した。明治11年(1878年)、第8大区長に任命され、高田中学校(現在の新潟県立高田高等学校)校長を兼ねた。翌年、西頸城郡長となり、信越鉄道の建設に尽力した。 明治14年(1881年)、鈴木昌司らとともに頸城三郡自由党を結成するが、板垣退助の自由党との接近に反対し、翌年に離党。大隈重信が立憲改進党を結成すると、上越立憲改進党を結成してこれに応じた。 明治23年(1890年)、第1回衆議院議員総選挙に当選。以後、5期にわたって議員を務めた。明治29年(1896年)に大隈が第2次松方内閣に外務大臣として入閣すると、多くの進歩党議員が政府に登用され、室も翌年4月に愛媛県の知事に任命された。しかし11月に大隈が辞任すると、室もまた辞任した。 栄典脚注
参考文献
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