安原啓太郎
安原 啓太郎(やすはら けいたろう、1874年(明治7年)8月24日 - 1945年(昭和20年)1月[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。 経歴・人物石川県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]。1901年(明治34年)陸軍大学校第15期卒業[1][2]。 日露戦争に第3軍参謀として従軍したのち、1912年(明治45年)3月に敦賀連隊区司令官を経て、1915年(大正4年)8月に陸軍歩兵大佐・臨時朝鮮派遣歩兵第2連隊長となる[1][2]。 翌年の1916年(大正5年)4月、臨時朝鮮派遣歩兵第2連隊が歩兵第80連隊に改編されると同連隊長となり、1917年(大正6年)5月に歩兵第67連隊長を経て、1919年(大正8年)4月に陸軍少将に昇進し、歩兵第36旅団長を務めた[1][2]。 その後、1921年(大正10年)7月に第8師団司令部附、1922年(大正11年)4月に第14師団司令部附を経て、1923年(大正12年)8月に待命、翌月、予備役に編入した[1][2]。 栄典脚注参考文献
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