守山市(もりやまし)は、かつて愛知県に存在した市。
現在の名古屋市守山区に該当する。昭和の大合併で、愛知県では唯一廃止された市である[注 2]。名古屋市のベッドタウンとして発展したが、守山市が誕生してすぐに名古屋市と合併の動きがあり、市として存在した期間は9年程である。
庄内川、矢田川沿いに位置し、東部は標高100m前後の丘陵地帯である。「守山」は「森山」が転じた地名と推測され[注 3]、近世以前は「森山」と表記される文献もある。
同名の市として滋賀県守山市があるが、滋賀県守山市は1970年に市制施行であり、重複とはなっていない。
守山市役所が存在していた場所は、現在守山図書館となっている。
地理
守山区#地理を参照。
隣接する自治体
歴史
名古屋市への編入への経緯
- 1951年(昭和26年)、当時の守山町長により、守山町は市制移行事項を議会に提案し可決される。1953年(昭和28年)には守山町、旭町、志段味村の2町1村での合併、市制が計画される。しかし、旭町は単独市制を望み離脱[注 6]。そのため、守山町と志段味村とで合併し、守山市となる。
- 1955年(昭和30年)、第1回市議会議員選挙の結果、名古屋市との合併を推進する議員多数を占めることとなる。また、住民からも名古屋市との合併を望む声が多かったため、1960年(昭和35年)に住民投票を実施して合併の賛否を問うことが決定する。しかし、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風の被災復興のため、延期となる。
- 1961年(昭和36年)10月、住民に世論調査を行い、名古屋市との合併に賛成が81.94%に及ぶ。この結果を踏まえて、1962年(昭和37年)1月に守山市は名古屋市への合併を申し入れる。同年9月に名古屋市議会は合併受け入れを議決する。
市長
- 加藤千一(1954年6月1日 - 1955年2月 前・守山町長)
- 黒田毅(1955年2月 - 1963年2月14日)
- 町長
教育
大学
高校
中学校
小学校
公共機関など
交通
鉄道
名所・旧跡
出身有名人
脚注
注釈
- ^ 1955年までは同年に名古屋市に編入された楠村・猪高村とも隣接していた。
- ^ 愛知県では、平成の大合併で尾西市が廃止されている。
- ^ 江戸時代に記された「尾張国地名考」には、続日本紀に『和銅3年正月初て守山戸を充て諸山の木を伐ことを禁むとあれば爰も古へ山守を置かれたる所歟。』との記述があり、これが「守山」の地名の由来としているが、定かではない。
- ^ 守山市の名古屋市編入から12年後の1975年(昭和50年)に千種区から名東区が分区した。
- ^ 山田郡分割時期は不明。1496年(明応5年)の文献には山田郡の名は記載されているが、1524年(大永4年)の文献には山田郡の名は記載されていないこと、太閤検地では山田郡は記載されていない事から、1500年頃と推測される。
- ^ 旭町は1970年(昭和45年)12月1日に単独で市制施行。尾張旭市となる。
- ^ 1944年休止、1969年廃止
- ^ かつては瀬古駅が存在したが、1942年4月1日以前に廃止。
- ^ 名古屋市守山区となった後の1964年(昭和39年)4月1日に新守山駅が開業した。なお、守山市であった1959年(昭和34年)1月には、地元住民による守山駅設置地元対策協議会が発足し、守山市議会には中央線守山駅対策委員会が組織され、1960年(昭和35年)に建設が開始される。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク