学区合同選抜制度

学区合同選抜制度とは、1952年から1966年まで東京都立高校全日制普通科島嶼部を除く)を対象に行われた入試制度である。

  • 1952年、学区合同選抜が採用される。学力試験は当初、実技科目を含めた8教科であり、1956年から英語が加わり9教科900点満点となった[1][2]。例年3月初旬に2日間に渡って実施された。
    • 同一学区内の高校は合同して選抜を行い、学区全体の募集人数分の合格者(学区合格者)を決定。その中から、希望にしたがって各学校の合格者が決定された。
    • 具体的には、受験生は第一志望校と、第二志望をするか否かだけを書いて出願し、第一志望校で受験、合格発表。(不合格者のうち)学区合格者も発表され、学区合格者は第二志望校を定員に達していない学校から順位をつけて三校まで記入して本来の第一志望校に出願し、各中学校で第二志望の受け入れ先が発表された。
    • 合格者の選抜においては内申書と学力試験を等価値に扱うとされていたが、実際には内申点は参考程度であったとされる。受験雑誌等で各高校の学力試験の合格最低点が発表されていたことも、そのことを裏付けている。
  • 1967年 合同選抜が廃止され、学校群制度に移行。

学区(1965年当時)

脚注

  1. ^ 都立高等学校入学者選抜制度」港区教育委員会/デジタル港区教育史
  2. ^ 日比谷高校の東大合格者数60人超え 1964年「193人合格」の大記録を振り返る”. AERA DIGITAL (2021年4月3日). 2025年6月2日閲覧。

参考文献

  • 伊藤純『東京都立高校における学校群方式入試制度の考察』1971年3月。
  • 桑田昭三『都立高校入試はこうなる』(技術書院)
  • 奥武則『むかし〈都立高校〉があった』(平凡社)2004年3月。

関連項目

 

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