太田村(おおたむら)は埼玉県の北東部、南埼玉郡に属していた村。現在は久喜市立太田小学校などに名をとどめる。
地理
河川
池沼
地名(小字)
栗原(くりばら・くりはら)
- 川原(かわばら)
- 前(まえ)
- 谷足(やたれ)
- 久保間(くぼま)
- 北(きた)
- 弁天島(べんてんじま:葛西用水路の琵琶溜井内に存在した島。南半分が栗原字川原。現、けやき台団地)
- ひのえ(琵琶溜井周辺の地名、今日ではひのえ児童公園などに見ることができる。)
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青毛(おおげ・あおげ)
- 中島(なかしま)
- 流作(りゅうさく)
- 中村(なかむら)
- 川原(かわばら)
- 本郷(ほんごう)
- 平沼(ひらぬま)
- 上青毛(かみあおげ・かみおおげ)
- 大境(おおさかい)
- 弁天島(べんてんじま:葛西用水路の琵琶溜井内に存在した島。北半分が青毛字本郷。現、けやき台団地)
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古久喜(こぐき)
- 市ノ坪(いちのつぼ)
- 和田(わだ)
- 和田前(わだまえ)
- 本田(ほんでん)
- 丸島(まるしま)
- 中島(なかじま)
- 出来野(できの)
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野久喜(のぐき)
- 出来野(できの)
- 野合(のあい)
- 上宿(かみじゅく)
- 下宿(しもしゅく)
- 丸島(まるしま)
- 香取(かんどり)
- 和田(わだ)
- 和田前(わだまえ)
- 本田(ほんでん)
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西(にし)
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吉羽(よしば)
- 向地(むこうち)
- 前(まえ)
- 諏訪(すわ)
- 下河原(しもかわら)
- 上河原(かみかわら)
- 一番方(いちばんがた)
- 平沼(ひらぬま)
- 沼向(ぬまむこう)
- 山下(やました)
- 宿(しゅく)
- 上宿(かみしゅく)
- 西前(にしまえ)
- 西(にし)
- 寺田(てらだ)
- 高田(たかだ)
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注1:青毛の読み方は一般には「アオゲ」と読まれるが、古くからの住民には「オオゲ」という発音が定着している。このため地区名を「オオゲ」、青毛堀川を「オオゲ ボリ」と呼ぶ姿もよく見られる。これは中世の村名に「大毛」の文字が当てられていたことに由来する。
注2:「野久喜と古久喜」・「吉羽と西」はそれぞれ飛地の形状で複雑に入り組んでいたため[2][3][4]、上記の他に多くの小字が共通している。
歴史
産業
農業
1875年(明治8年)時点における村域の田畑の比率として、田21.3%(92町5反)・畑78.7%(341町3反)であった。1887年(明治20年)の調査では、田36%(167町3反)・畑64%(296町8反)となっている。これは村域の多くが古利根川の自然堤防の発達した位置に置かれていることと関係している[5]。
工業
- レンガ工場(レンガこうば) - 現栗原より青葉にまたがり営業していた工場。粘土は主に近隣の田より仕入れ、生産物は馬車によって久喜幸手新道を通り出荷されていった。
教育
出身有名人
神社・寺・史蹟・祭典
注意:この節に記した神社・寺院は過去に存在していたが、合祀等により閉村時点で現存していなかったものを含む。
事件・事故
関連項目
脚注・参考資料
- 脚注
- ^ a b 『久㐂』(昭和39年11月28日発行) 久喜町総務課 編
- ^ 野久喜・古久喜周辺 - Goo地図 ホームページ
- ^ 『久喜新・久喜本・野久喜・古久喜(複製)』 行政資料番号 No.3637 久喜市公文書館蔵
- ^ 吉羽・西周辺 - Goo地図 ホームページ
- ^ 『久喜市史 通史編 下巻(93ページ〜97ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成4年1月20日 発行
- ^ 『久喜市史 民俗編(233ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成3年3月25日 発行
- 参考資料
- 『久喜市史調査報告書 第1集 地誌』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和58年3月25日 発行
- 『久喜市史 通史編 下巻』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成4年1月20日 発行
外部リンク