大阪府立西浦高等学校
大阪府立西浦高等学校(おおさかふりつ にしうら こうとうがっこう、英: Osaka Nishiura High School)は、かつて大阪府羽曳野市西浦にあった公立の高等学校。高校生急増期の昭和後期1978年に誘致運動を受け、府立118番目に新設されたマンモス校[1]。平成中期2008年に少子化の影響で統廃合され、閉校となった。後身は大阪府立懐風館高等学校。 概要1971年(昭和46年)誕生の黒田革新府政が、高校入試で「十五の春は泣かせない」政策[2]として、大幅に府立高校を新設[3]。1973年度だけで開校13校が計画され各自治体が地元誘致運動を進める中[4]、118番目の府立高校として1978年に開校した。 略称はそのまま「西浦」(にしうら)または「西高」(にしこう)であった。在校生は「西高生」(にしこうせい)と呼ばれることが多かった。 教育課程は全日制課程で普通科を設置。校地は国道170号線(大阪外環状線)に面しており、学校周辺は田園地帯で、また古市古墳群などの史跡も多く立地。近隣住民の活動の場として施設の開放を行っていた。 大阪府教育委員会は2007年(平成19年)、府立高等学校特色づくり・再編整備計画に基づき、西浦高校と大阪府立羽曳野高等学校を統合し、新たに普通科総合選択制の高校を設置する構想を発表した。新高校は大阪府立懐風館高等学校として2009年に開校(羽曳野高校の校舎内)。これに伴い西浦高校は同年度より生徒募集を停止され、最後の在校生31期生が卒業した2011年3月に閉校した。卒業生は総計1万1806名[5]。 この計画を含む大阪府立高校統廃合計画に対しては「大阪府の公立高校受験者の増加・公立志向の高まり」「大阪府内で5000人以上の公立高校不合格者が出ていること」「西浦・羽曳野両校の統合についても、統合後の校舎選定の理由について明確な説明がない」「交通の便についても両校とも悪くない」など、計画に反対ないしは疑問視する意見も出されていた[要出典]。 跡地は2015年より大阪府立西浦支援学校となっている。 沿革年表
基礎データ交通アクセス
象徴
校章は、西浦の「西」を図案化したものであり、全体としてのふくらみは古市古墳群を表している[1]。 組織関連団体
主な卒業生
脚注
関連項目
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia