大谷一二 (政治家)
大谷 一二(おおたに いちじ、1924年〈大正13年〉4月13日 - 2022年〈令和4年〉1月3日)は、日本の政治家。奈良県川上村議会議員(5期)、川上村議会副議長、川上村長(8期)を歴任した。 経歴1924年(大正13年)4月13日に生まれる[1][2]。1941年(昭和16年)12月、奈良県立吉野林業学校(現:奈良県立吉野高等学校[注釈 1])を卒業[1][2][3]。1942年(昭和17年)1月、満州に渡り満州炭坑西安教習所を経て、同社で勤務する[1][2]。 1948年(昭和23年)、帰国し大谷組を創業した[1][2]。1958年(昭和33年)に株式会社に改組して社長に就任した[1][2]。1959年(昭和34年)、村内建設業組合を設立して、組合長を務める[1][2]。 1963年(昭和38年)4月の川上村議会議員選挙に立候補して初当選を果たした[1][2]。川上村議会では、副議長、議会ダム対策特別委員会委員長を歴任した[1][2]。村議5期目途中の1980年(昭和55年)7月に川上村長に無投票で初当選した[2][4][5]。1981年(昭和56年)に賛否両論だった大滝ダムの建設計画に同意した[4]。1984年(昭和59年)7月、無投票で再選を果たした[2]。1988年(昭和63年)7月、村長選で3選を果たした[2]。1992年(平成4年)6月、無投票で4選を果たした[2]。1994年(平成6年)からは水源地の村づくりを推進した[4]。1996年(平成8年)に「川上宣言」を出して、原生林740haの村有化や流域住民との交流、森林保全の啓発などを全国に先駆けて実施した[4][6]。同年6月、村長選で5選を果たした[2]。2000年(平成12年)6月20日、無投票で6選を果たした[2][7]。2004年(平成16年)7月6日、無投票で7選を果たした[2][3]。2008年(平成20年)7月1日、無投票で8選を果たした[2][8]。同年11月14日、山口県周防大島町長中本冨夫の引退に伴い、全国最年長首長となった[8][9]。2012年(平成24年)6月5日に記者会見を開いて、今期限りでの引退を表明した[4]。同年7月24日に任期満了で退任した[5][10]。 2022年(令和4年)1月3日、老衰のため南和広域医療企業団五條病院で死去[5]。97歳没。死没日付をもって従五位に叙された[11]。 栄典その他
脚注注釈
出典
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