大正 (八尾市)
八尾市の南西部に位置し、八尾市制施行前の大正村であった地域である。当時の自治体としての名称を「大正」の年号に因んで付けられたのであり、大正という地名は過去も現在も存在しない。新住所表記では、木の本、西木の本、北木の本、南木の本、大字木本、太田、太田新町、沼、空港の各地域に該当する。 ここでは便宜上松原市から分割して編入した地域である若林町も含めて記載する。 歴史・概要
近代以前飛鳥時代以前、この地は物部氏の勢力範囲であり、厩戸皇子軍との戦いにおいて物部守屋が(現在の南木の本に)稲城に陣を置いて抵抗したと伝わる。 律令制制定以降は河内国丹北郡と志紀郡とが接する地域となり、太田村は双方に存在した。また、もとは一つの村だった木本村も分村して丹北郡と志紀郡にまたがるようになった。 (日本 > 畿内 > 河内国 > 丹北郡 > 木本村、太田村、若林村) (日本 > 畿内 > 河内国 > 志紀郡 > 北木本村、南木本村、太田村、沼村)
近代以降(日本 > 大阪府 > 中河内郡 > 三木本村→大正村)
八尾市制施行以降
地理前述の通り、八尾市の南西部に位置する。地域の西側は大阪市平野区の長吉六反地区と接する。南側は大和川が流れる。地域内に八尾空港があり、広大な面積を占め、地域を南北に分断している。 地域全体にわたってほぼ平坦であり、かつては大雨が降ると洪水等でたびたび浸水した。地域を流れる小河川の拡張・掘り込みを行うなど治水対策がされている。 河川交通地域を南北に旧大阪中央環状線が通っており、現在も八尾市と藤井寺市を結ぶ幹線道路として機能している。かつては「八尾藤井寺線」と呼ばれ、木本から太田へ直進していたが、前述の通り八尾空港で分断されて現在は西へ迂回している。なお、本道に沿って路線バスが通っており、近鉄八尾駅と藤井寺駅を結んでいる。便数は比較的多い。少し西側の大阪市内を大阪中央環状線が通り、地域東側・沼地区の端を大阪外環状線(国道170号線)が通っている。道路交通の便は悪くない。 主な道路 鉄道 バス
地域
木ノ本、西木ノ本、北木ノ本、南木ノ本、大字木本かつて一つの村だったのが三つに分村し、二つの郡にまたがって三つの木本村が存在した地域である。地域内に樟本神社が三座あり、それぞれの村に一座ずつ鎮座している。現在は大正地域の中では最もにぎわっている地域である。 主な施設、旧跡 (木ノ本1 - 3丁目)
(西木ノ本1 - 4丁目)
(北木ノ本1 - 5丁目)
(南木ノ本1 - 9丁目) (大字木本) 若林町前述のとおり、大和川付け替えにより南北に分割された丹北郡若林村の北側だった地域である。南側と北側は橋梁で直接結ばれておらず、松原市とは村の中以外で経済的な結びつきもなく不便だったため、松原市から分離して八尾市と合併することを選択した。 合併当時は寒村であったが、1980年に地下鉄が延伸開業して公共交通の便が向上。企業団地が設置されて企業が誘致された。 しかし駅前まで企業が立地し、商店街の類は見あたらない。 主な施設、旧跡 (若林町1 - 3丁目) 太田、太田新町、沼かつての中河内郡太田村だった一帯であり、八尾空港の南に位置する。 主な施設、旧跡
(太田新町1 - 9丁目) (沼1 - 4丁目) 空港地域のほとんどが八尾空港とその関連施設であるが、北側に若干工場地がある。 主な施設、旧跡 (空港1,2丁目)
脚注出典
関連項目 |