本町 (八尾市)
本町(ほんまち)は、大阪府八尾市の町。現行行政地名は本町一丁目及から本町七丁目。住居表示は実施済み[4]。 現住所表記に変更される前は大字八尾を中心に、大字西郷、大字木戸、大字東郷、大字大信寺など周囲の一部も含まれていた。 歴史令制国一覧 > 畿内 > 河内国 > 若江郡 > 寺内村ほか 河内国若江郡の南に位置し、寺内町(八尾、大信寺)のほかに「八尾八か村」と呼ばれた 西郷村、東郷村、木戸村、庄之内村、成法寺村、今井村、別宮村、八尾座村の各村があっ た地域が狭義の八尾とよばれる。 中世・平安時代以降は「八尾庄」と呼ばれた有力寺院の荘園地であった。慶長11年(1606年)に久宝寺村の森本行誓ら17人衆は、本願寺が東西に分かれて対立したこと発端とし、久宝寺寺内町を支配していた安井氏と対立したが敗訴し、また17人衆は東本願寺に属したことから村を追放される形となった。この時、東本願寺の教如は徳川家康より八尾庄の四町四方の地を与えられ、行誓らは東本願寺に属した慈願寺と共にこの地に移住・荒れ地を開墾して八尾御坊大信寺を中心とした寺内町の基礎を築いた。以降、八尾の中心はのちに八尾八か村とよばれる集落から寺内町へと移り、在郷町として発展した。町内は周囲の農村部で木綿栽培が盛んだったこともあり木綿問屋や肥料屋が数多く存在した。 江戸時代初期までは八か村はひとつの村であったが寛永年間に分村している。現在の本町は寺内町の全域および周囲の一部を取込んだ地域である。江戸時代における支配者は最初は幕府直轄、享保15年以降は大坂城代土岐頼稔領、のち頼稔の上野沼田藩への入部により沼田藩領となり幕末へ至る。明治期の市町村制施行により八尾村の大字八尾の一部となる。 昭和35年に町名地番改正が実施され、旧寺内村とその周辺で整理、住居表示が実施され、本町1丁目 - 7丁目となった。 地理八尾寺内町
主な施設と旧跡(本町1丁目) (本町2丁目) (本町3丁目) (本町4丁目)
(本町5丁目) (本町6丁目) (本町7丁目)
世帯数と人口2020年(令和2年)3月31日現在(八尾市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年5月時点)[10]。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
交通主要道路
ギャラリーその他日本郵便脚注
参考文献
関連項目
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