南田島 (川越市)
南田島(みなみたじま)は、埼玉県川越市東南部の大字。旧入間郡南田島村。郵便番号は350-0027[2]。 地理川越市の東南部に位置し、北東を大中居、東部を泉町・並木西町、東南部を藤木町・木野目、南部を牛子・下新河岸、新河岸川を跨いだ西南部を砂、西部を扇河岸、北西部を大仙波と接している。大部分は農地だが、住宅開発も進みつつある。西側を新河岸川が、東側を九十川が流れているが、かつてこの九十川は南辺にも流れていた[4]。 戦後の工事で流路が変更され、旭橋上流から川崎橋の上流に合流点が移された。この合流点付近も南田島の飛地であり、西部を牛子、東部を木野目、新河岸川を跨いだ南部を寺尾及びふじみ野市川崎と接している。南北に富士見川越道路が、東西にJR川越線が通り、両者は立体交差している。駅は存在しない。最寄り駅は川越線南古谷駅だが、南部では東武東上線新河岸駅が利用されることもある。 河川歴史古くは三芳野郷山田庄に属した[5][6]。永禄2年(1559年)に編纂された[7]『北條役帳』(小田原衆所領役帳)に「備中殿五十貫文入東田島」とあり、南が冠されたのはそれ以降と推定される[5][6]。徳川家康の関東入国以降、正保年間は松平信綱・酒井内記・榊原八兵衛の知行だったが、後に河越城付の村となった[5]。江戸期は水田のみで、畑作はなされなかった[6]。『新編武蔵風土記稿』では家数70余[6]。この頃の小名に一丁島、かんとうしろ、ぼたい、ばすま、ふつはり、はちかいと、なけいた、かちばし、高とうす屋敷分が挙げられている[5][6]。 川越市の無形民俗文化財に指定されている南田島の足踊りは明治中期に森田森之助によって考案された。これを元に森田元次郎・萩原泰治が面が取り外し自由の衣装など工夫を重ね現在の形になった[8][9]。
世帯数と人口2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
交通鉄道道路施設
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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