南田島 (川越市)

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南田島
富士見川越バイパス・南田島交差点。
富士見川越バイパス・南田島交差点。
南田島の位置(埼玉県内)
南田島
南田島
南田島の位置
北緯35度54分17.08秒 東経139度30分22.99秒 / 北緯35.9047444度 東経139.5063861度 / 35.9047444; 139.5063861
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 川越市
人口
2017年(平成29年)10月1日現在)[1]
 • 合計 2,558人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
350-0027[2]
市外局番 049[3]
ナンバープレート 川越

南田島(みなみたじま)は、埼玉県川越市東南部の大字。旧入間郡南田島村郵便番号は350-0027[2]

地理

川越市の東南部に位置し、北東を大中居、東部を泉町並木西町、東南部を藤木町木野目、南部を牛子下新河岸新河岸川を跨いだ西南部を、西部を扇河岸、北西部を大仙波と接している。大部分は農地だが、住宅開発も進みつつある。西側を新河岸川が、東側を九十川が流れているが、かつてこの九十川は南辺にも流れていた[4]

戦後の工事で流路が変更され、旭橋上流から川崎橋の上流に合流点が移された。この合流点付近も南田島の飛地であり、西部を牛子、東部を木野目、新河岸川を跨いだ南部を寺尾及びふじみ野市川崎と接している。南北に富士見川越道路が、東西にJR川越線が通り、両者は立体交差している。駅は存在しない。最寄り駅は川越線南古谷駅だが、南部では東武東上線新河岸駅が利用されることもある。

河川

歴史

古くは三芳野郷山田庄に属した[5][6]永禄2年(1559年)に編纂された[7]北條役帳』(小田原衆所領役帳)に「備中殿五十貫文入東田島」とあり、南が冠されたのはそれ以降と推定される[5][6]徳川家康の関東入国以降、正保年間は松平信綱酒井内記榊原八兵衛知行だったが、後に河越城付の村となった[5]。江戸期は水田のみで、畑作はなされなかった[6]。『新編武蔵風土記稿』では家数70余[6]。この頃の小名に一丁島、かんとうしろ、ぼたい、ばすま、ふつはり、はちかいと、なけいた、かちばし、高とうす屋敷分が挙げられている[5][6]

川越市の無形民俗文化財に指定されている南田島の足踊りは明治中期に森田森之助によって考案された。これを元に森田元次郎萩原泰治が面が取り外し自由の衣装など工夫を重ね現在の形になった[8][9]

世帯数と人口

2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
南田島 1,040世帯 2,558人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]

番地 小学校 中学校 備考
1330〜1331
2020〜2075
川越市立牛子小学校 川越市立東中学校 一部特認地区あり
2141〜2144
2491
2502〜2503
2510-4
川越市立南古谷中学校
その他 川越市立砂中学校

交通

富士見川越道路

鉄道

道路

施設

脚注

  1. ^ a b 川越市 町字別・男女別人口と世帯数”. 川越市 (2017年10月2日). 2017年10月14日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月11日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月。
  5. ^ a b c d e f 新編武蔵風土記稿巻之百六十七』、「大日本地誌大系(八)新編武蔵風土記稿 第八巻」雄山閣、1957年9月再版所収。
  6. ^ a b c d e f g h 新編武蔵風土記稿 1929, pp. 305–306.
  7. ^ 『埼玉大百科事典』第1巻、埼玉新聞社、1974年3月、pp322-333。
  8. ^ a b c 『埼玉大百科事典』第5巻、埼玉新聞社、1975年5月、p51。
  9. ^ a b 市指定文化財 南田島の足踊り
  10. ^ 新編埼玉県史 別編5 統計 付録『町村編制区域表他』埼玉県、1981年3月。
  11. ^ 旧新地番対照表(藤木町)
  12. ^ 町名地番別川越市立小・中学校検索”. 川越市 (2015年1月3日). 2017年10月14日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク