円頂寺

圓頂寺
所在地 岐阜県恵那市上矢作町本郷2959
位置 北緯35度18分07.5秒 東経137度29分47.9秒 / 北緯35.302083度 東経137.496639度 / 35.302083; 137.496639座標: 北緯35度18分07.5秒 東経137度29分47.9秒 / 北緯35.302083度 東経137.496639度 / 35.302083; 137.496639
山号 寶林山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼
創建年 寛永年間
開山 徳翁
中興年 貞享3年(1686年)
札所等 恵那三十三観音霊場十五番
文化財 市指定:八方睨みの龍の天井絵
木造観音菩薩坐像
木造聖観音菩薩坐像2躯
木造薬師如来立像
木造飯綱権現立像
木造三十三応現神立像
法人番号 9200005009462
円頂寺の位置(岐阜県内)
円頂寺
円頂寺
円頂寺 (岐阜県)
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円頂寺圓頂寺、えんちょうじ)は、岐阜県恵那市上矢作町本郷にある曹洞宗の寺院。山号は寶林山。恵那三十三観音霊場十五番。

歴史

寛永年間(1622年~1644年)に徳翁秀用が開山したという説。[1] 

明暦年間(1655年~1658年)に岩村盛巌寺五世の天叟全龍が開山したとする[2]二つの説がある。

二世住持は快信と伝わる。

当初は今の場所ではなく河原近くの寺井口に存在したが、寛文8年(1668年)に水害より荒廃した[3]ために、

貞享3年(1686年)に武儀郡神渕村龍門寺満州和尚の指揮の下で現在地に移転し、檀家が協力して再建を達成した。

元禄16年(1703年)の『上村並枝郷指出帳』には、次の様に記されている。

一、上村本郷 禅宗 円頂寺 客殿 長九間半・横七間、庫裡 長七間・横五間

 とあり大きな建物であったことがわかる。

満州和尚は、後に木実山に庵を結んで住み、元禄14年(1701年)に遷化した。

現在も、木実に卍庵洞という地名や、満州和尚座禅石と称する遺跡が残っている。

寺の開山堂にある江戸時代作の龍の天井絵八方睨みの龍は元は岩村城にあったもので、廃城の際に圓頂寺に移されたものである。

また明治元年(1868年)の神仏分離令により廃寺とされた真言宗当山派大船寺で祀られていた覚林坊(飯縄権現/烏天狗)・木造聖観音菩薩坐像・木造三十三応現神立像萬光寺と交代で保管している。

木造聖観音菩薩坐像は、串原中山観音と、かつて矢作川を越えた南側に存在した小馬寺で祀られていた十一面観音立像と、同じ一木から彫り出された三体の一つであったという。

指定文化財・天然記念物

恵那市指定文化財

  • (絵画) 八方睨みの龍の絵天井 江戸時代中期 
  • (彫刻) 木造観音菩薩坐像 江戸時代後期 
  • (彫刻) 木造聖観音菩薩坐像 江戸時代前期 
  • (彫刻) 木造薬師如来立像 江戸時代 
  • (彫刻) 木造飯綱権現立像 寛文3年(1663年) ※萬光寺と交代で保管
  • (彫刻) 木造聖観音菩薩坐像 体幹部と後頭部は平安時代、その他の部分は江戸時代前期 ※萬光寺と交代で保管
  • (彫刻) 木造三十三応現神立像 ※萬光寺と交代で保管

関連リンク

関連項目

参考文献

  • 『上矢作町史』 通史編 第三部 近世 第五章 近世の信仰と寺社 p366~p367  2008年
  • 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年

脚注

  1. ^ 厳邑府誌
  2. ^ 岩村町史
  3. ^ 火災により伽藍が焼失したという説もある。

 

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