萬光寺 (恵那市)
萬光寺(万光寺、ばんこうじ)は、岐阜県恵那市上矢作町横道にある曹洞宗の寺院。山号は清水山。恵那三十三観音霊場十四番。 歴史寛永年間(1622年~1644年)に徳翁秀用によって開基された正信寺が元寺と伝わる。 徳翁秀用は、横道村の庄屋の藤野作右衛門[注釈 1]から土地と建物の寄進を受けて正信寺を草創した。 藤野作右衛門は寛永13年(1636年)に没している。 承応年間(1652年~1655年)、徳翁秀用は寺号を萬光寺に改めて横道村の寺にすると、門人の秀悦に住職の座を譲り、明暦元年(1655年)に遠江の圓光寺に移った。 元禄16年(1703年)の『上村中指出帳』の横道村の項には、次の様に記されている。 一、禅宗万光寺 客殿 長五間・横三間、庫裡 長七間・横四間、境内 ニ六間に横一八間、寺付林 長一六間・横三十間、御代々御竿除地に御座候 宝暦年間(1751年~1754年)に岩村の盛巌寺から来た海盤は、 明暦3年(1657年)に既に遷化していた盛巌寺五世の天叟全龍を開山者にして、自身は、その後継の二世とし、萬光寺を盛巌寺の末寺とした。 天明年間(1781年~1789年)に至り、尾張春日井郡の淳豊が、盛巌寺十一世の海盤を中興開山に招き再興を果たしたという説もある。 檀家は横道・達原・小笹原の集落に分布している。 恵那市指定の文化財として木造烏枢沙摩明王立像[注釈 2]、木造馬頭観音立像、木造蚕霊神立像、木造聖観音坐像、木造飯綱権現立像[注釈 2]及び木造三十三応現神立像[注釈 2]を有する。 また明治元年(1868年)の神仏分離令により廃寺とされた天台宗当山派の大船寺で祀られていた覚林坊(烏天狗)の像を円頂寺と交代で保管している。 脚注関連項目参考文献
|